今回は冒頭でトッポ僧侶のメタボ腹が拝めます。全然ありがたくありませーん。
備辺司(ピビョンサ)に堂上官を集めた光海君は、忌憚なく意見を言えと命令。
明に援軍を送るべきと皆が主張する中で、パク・ジャフン(世子妃父)だけは別。
「出兵するにもわが国の事情は厳しく、後金の報復も恐れなければなりません。
鴨緑江(アムノッカン)に兵を集めて気概だけ見せて、川は渡らなければよい」。
光海君はこの現実的な意見を認め、大事を初めて潔く決めた王に臣下は驚きます。
娘婿のパク・ジャフンを後でイ・イチョムが責めると、こう言い返されました。
「朝鮮の兵は農民だし差し出しても損です。後金の騎馬兵にも勝てませんよ」。
光海君の考えが理解できないユ・ヒブンはキム・ゲシ尚宮に王の真意を質問。
キリリと決断を下す光海君を“英主”と評するキム尚宮は、王に従えと言います。
明の総指揮官・楊鎬(ようこう)は文禄・慶長の役で悪事を働いた張本人。
弘文館イ・シムが遼東にいる楊鎬に会いに行き、派兵免除を願います。
(イ・シムは「女人天下」商人ペク頭領の俳優さん!若いですっ!!)
楊鎬はそれを認めず、後で到着したパク・ジョンギルともども人質にしました。
それでも光海君は泰然としており「世子に子供がいないから側室を迎えよう」と
全国の士大夫家庭の11歳から19歳の娘を対象に禁婚令を出しました。
娘さんを揀擇に参加させては?と弟子ハ・インジュンがホ・ギュンに提案。
謹慎中のホ・ギュンの信任を問える上、イ・イチョムにも対抗できるからです。
イ・イチョムはムカつきながらも「お前が昭訓の父になれば心強い♪」と送り、
この手紙は本心かフリなのか・・・とホ・ギュンとその弟子たちが戸惑います。
光海君10年(1618年)5月13日、明の指揮官・楊鎬から強い要求が届きます。
それは「派兵に反対する重臣を殺めてでも兵を送れ!」という内容でした。
光海君は外交の名手ならではの遅延策をとり、のらりくらりとした後で会議。
「わかった。派兵するなら指揮する武官がいるよな。科挙の武科を行え」。
この科挙で25歳のイム・ギョンオプと弟のイム・サオプが及第しました。
こうしてやっと出兵を決め(砲手3500、射手6500、残り3000、計13000人)、
光海君は左賛成パク・スンジョンを右議政兼体察使(チェチャルサ)に任命。
カン・ホンリプを刑曹参判兼都元帥に、キム・ギョンソを副元帥に任じ、
パク・ヒョクとユ・スギョンには物資の供給を任せると言い渡しました。
これを知った後金ヌルハチは「朝鮮をオレの馬蹄で踏んでやる!」と怒ります。
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