チャンヒビン第1話「王と大妃」
朝鮮王朝19代王である粛宗の時代、王妃(仁敬王后)が天然痘で亡くなりました。
世子嬪を経て国母となり10年経っていましたが、世継ぎはいません。
大妃の明聖王后は、病の殿下には訃報を知らせるなと緘口令を敷きます。
感染を防ぐため、王と王妃が景徳宮と昌寧宮に分かれていたからできたことでした。
訃報を隠せという命に憤る礼曹参判のチョ・サソク(慈懿大妃のまたいとこ)を
礼曹参議のキム・マンジュン(仁敬王后叔父)が諌めています。
チョ・サソクは兵曹判書のキム・ソクチュ(明聖王后のいとこ)とも言い争います。
ここで整理しておくと、粛宗の母である明聖(ミョンソン)王后金氏が「大妃」、
そしてその上のまた上~~の世代にもう一人、「大王大妃」がいます。
この方が、慈懿(じい)大妃とも呼ばれる荘烈(チャンリョル)王后趙氏。
大王大妃は粛宗の先々代の仁祖の継妃(=二番目に迎えた王妃)でしたが、
子どもはできなかったので粛宗と血のつながった祖母ではありません。
王妃の死を知った粛宗は、母の大妃に猛烈に抗議。
思えば父の顕宗が亡くなったときも母はひどい扱いをしたと怒っています。
当時は世子だった粛宗が父のために必死に祈り続けたのに比べ、
母の大妃は冷静な態度だったらしく、粛宗はそれを恨んでいるのです。
当時の政争には大妃の外戚も絡んでおり、それが顕宗を悩ます原因だったため、
粛宗と大妃の間には長い間の確執があるのでした。(韓国時代劇では珍しい?)
そのため自分の代わりにパク宦官を大妃の見舞いに行かせる始末です。
大王大妃は福善君(仁祖の孫。いわゆる宗親)を叱りつけています。
この人たち(南人派)は冷遇される身で、「対大妃(明聖王后)」なんですね。
でも大王大妃は粛宗の前ではやさしいおばあちゃんを演じているようです。
大妃(西人派)は「でっちあげで福善君を謀反に問え!」とキム・ソクチュに命じ、
ついでに南人派も潰してやる!と高笑い。孫子も読んでいて、男勝りな大妃です。
そして福善君は、でっちあげなんかしなくても兵を育てて謀反を企んでいます。
さてここでやっとこのドラマの主役であるチャン・オクチョンの登場です。
オクチョンの母ユン氏がチョ・サソクとデキちゃったらしく、
チョ・サソクの夫人がチャン・ヒョンの家どなりこんできました。
(オクチョンたちは、父の亡き後、父の兄・チャン・ヒョンの家に住んでいます)
ところがオクチョンはチョ・サソク夫人に威勢よく反抗しています。
中人のくせに!と罵られていますが、豪商のチャン家はいい暮らしをしており、
伯父は両班ではないが従一品の宗禄大夫だ!とオクチョンが言い返してます。
その後、身を隠していたオクチョンの母がチョ・サソク夫人に見つかりました。
私は卑しい寡婦だがあの方を心から慕っている・・・と告白します。
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