世子(もと忠寧大君)は席藁待罪(ソッコデジェ)して禅位撤回を求めます。
経験の浅い世子様を振り回した臣下への戒めです!と左議政パク・ウンを責め、
あなたの責任だから辞職して収拾してくださいと詰め寄る吏曹判書シム・オン。
太宗は、お体を大切になさいませと世子に敬語を使い始め(恐ろしい!)、
元敬(ウォンギョン)王后と一緒に寿康宮(スガングン)へ移ってしまいました。
それでも臣下たちは、禅位なんて嘘だよ~んと言われたときが怖いので、
一同で連座して禅位撤回を願い出ます。
そこへ、(いかにも演出バレバレの)恵みの雨がバシャーっと降ってきました!
天も余の意を拒まぬようだ、王になって18年、思い残すことはないと太宗。
新王のお体が冷え切ってしまうと気遣い、禅位の意思を重ねて伝えつつも、
軍務と人事は新王が30歳になるまで自分が担当する!と宣言しました。
夢だった生前禅位も叶ったし温行(オネン)にでも行きますか?と誘う王妃に、
まだまだ休めないと太宗は実はやる気マンマン。長年の手下チョ・マルセンを
私心を持つ人間をチクらせるために引き続き新王の知申事につかせます。
王になることが決まった世子は、側近軍団を例の小高い丘へ連れて行きました。
私はまだ賢者ではない、そなたたちの賢さを捧げてくれ(=集賢)と話します。
軍権やマルセンの件に、新王は操り人形か?とユン・フェやイ・スが猛反発。
シム・オンは、父の顔色を伺う王に従う臣下はいませんと太宗に訴え、
従来の非道なやり方をお望みで?と必死に頭を下げました。
その夜、太宗は大好きな宗廟に世子を呼び出すと、ドよ・・・と話しかけます。
お前の名をあまり呼んでこなかったが今日で呼べなくなると思うと残念だ、
目をかけられなかったのに立派に育ってくれて感謝している、
悪行は父で終わらせて聖君になるのだ・・・・。
朝鮮建国から26年後の1418年、世子(もと忠寧大君)が王に即位します。
このとき新王は22歳。聖君として名高い世宗王の誕生でした。
赦免令が公布され、官庁倉庫から民に穀物が配られます。
ユン・フェは同副代言(現在の大統領府の首席秘書)に昇進し、イ・スは右副代言に。
即位式で新王・世宗は、「余は民を天と崇め仕えることを誓う」と宣誓。
孝寧大君(二男)や敬寧君(孝嬪息子)は来てますが譲寧大君はいませんね~。
ある日世宗らは、上王・太宗が対馬征伐を計画していると知って驚きます。
でもチョ・マルセンだけは冷静で、特別税を検討せよとの上王の意思を伝えました。
もちろん世宗は征伐に反対!でも、民心を鎮めるためには効果的とカン・サンイン。
実はサンインは上王に密かに呼ばれ、いつまで家臣の真似事をしているのか・・・、
手足となって動いてくれるお前が兵曹にいるのは心強い・・・と言われていましたが、
自分を「信じる」と言ってくれる世宗と、「家臣」扱いの上王を少し比べています。
上王は征伐に備えて軍の訓練を視察中。日本の間者だったピョン・ドジョンが
帰化して役人となり傍に仕えているようです。でも息子のマンゴは賭け事好きで、
対馬側の策士である宗俊に取り込まれています。
酒場で飲んだくれるユン・フェの前に、一般ぴーぽーの服で現れて飲む世宗。
監視させていたマルセンは、いつまで王子気分で側近たちと?と世宗を叱ります。
今後もそのつもりでーす♪と答えた世宗の答えをマルセンから聞いた上王は、
“王の身辺整理”を口にします。こわいです。
世宗はマルセンを、チョン・インジらが試験を受けるある場所へ連れて行くと、
“賢者を選ぶ試験”でマルセンの文才を生かして試験官をしてくれと命じます。
余に知恵を与えるものは誰であり側近だ!と世宗は力説していますが、
マルセンはこれくらいでは世宗の手下にはならない気がしますねえ・・・。
こうして世宗が設立(実際は復活)したのが、有名な集賢殿(チッピョンジョン)。
試験に通った若き学士たちが集うこの機関は、輝かしい世宗時代の礎となります。
世宗はその長である領殿事に左議政パク・ウンを任命しました。
特別税は(民でなく)不正をしている両班から徴収したいという理由からでした。
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