世宗11年(1429年)、世子(後の文宗)がポン・ヨの娘ポン氏と再婚しました。
世子は最初の嬪宮と2年間暮らした後、3ヶ月前に廃位して追い出したばかり。
結婚に乗り気でないのか、天文儀器都監でチャン・ヨンシルにダダをこねてます。
世子の婚礼には女真族のイ・マンジュ(ロングヘア♪)やトン・メンガをご招待。
すると女真族は「朝鮮が抑留している女真族の民」をお祝い返しに要求した上、
国境で紛争を起こしている部族は自分の部族じゃないもーんとシラばっくれます。
でも世宗に「今それを調べているからな」と言われると黙り込んじゃいました。
さて、主要メンバーたちが出世しているようなのでここにまとめてみましょう。
芸文館大提学ユン・フェ、工曹左参判シン・ジャン、集賢殿応教チェ・マルリ、
集賢殿直殿チョン・インジ、領議政ファン・ヒ、知中枢院事イ・チョン、
そしてチャン・ヨンシルは護軍(正四品の武官職)に就いているようですよ。
集賢殿には朝鮮語の達者なガイジンさんソル・スンが入部(クラブなのか?)し、
チョン・チャンソンという人や、イ・スンジという威勢のいい若いのも登場です。
晋陽(チニャン)大君(後の首陽大君・世祖)は世子の嘉礼の日に都を出発し、
内侍府護衛兵カン・フィや左代言キム・ジョンソ、左軍都総制イ・スと咸吉道へ。
タミやプンゲ、女真族から帰化したシガロと会い、書物『農事直説』を渡します。
これまで世宗が帰化政策をすすめてきたのは、領土拡大を企んでいたからでした。
ファン・ヒとユン・フェはちょっぴり驚愕しつつも、女真族トン・メンガと会談。
万戸という武官の役職を女真族に与えて友好関係を結ぶことを申し入れました。
東廠(明の諜報機関)の長ワン・ジンや礼部尚書ヨ・ジンは「けしからん!」。
流刑中のチョ・マルセンを復帰させるため、女真族イ・マンジュを動かします。
イ・マンジュはトン・メンガの手下を使い朝鮮を奇襲し、帰化した女真族を始末。
「朝鮮に帰化した者は報復を受ける」という文に晋陽大君たちが怒りに震えます。
地方の将軍も集めた重臣会議で、三道都巡問使チェ・ユンドクやファン・ヒらが
「慶源陣営の孤立を防ぐため、すぐに龍城に移転するべき」と主張しました。
(都鎮撫キム・ヒョソン、兵曹参判イ・ガク、右軍節使イ・スンモンたちは、
都に行く途中でマルセンの配流地に寄り、軍の人事が改編されそうと報告済)
慶源を手放してはならないとイ・スだけが反対し、世宗もイ・スに同意します。
「明と通じるイ・マンジュの拠点と近い閭延(ヨヨン)も強化して城を築く!」。
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