王妃(仁顕王后)は大王大妃(荘烈王后)に頼ったのを悔やみ、必死に看病。
目覚めた大王大妃は、もの言えぬ口を動かしてオクチョンとの面会を望みます。
今の昭儀(ソイ)様があるのは大王大妃様のおかげなのですよ・・・と
左議政チョ・サソク(大王大妃従弟)に諭されたオクチョンは、
私をこうさせたのは8年前仁敬王后が難産のとき私を中殿様と呼んだ左議政様、
大王大妃や王妃への恩は感じているが仇で返さなければ夢は叶わないと反論。
結局オクチョンは会いに行かず、大王大妃は失意の涙を流して崩御しました。
ここで唐突に雷が鳴り始め(しかも連続)、「女人天下」好きの心を少しだけ
ときめかせてくれますが、もちろん「女人天下」の足元にも及びません。
荘烈(チャンニョル)王后趙(チョ)氏は朝鮮第16代王・仁祖の継妃で、
領敦寧府事・漢原府院君趙昌遠(チョ・チャンウォン)の娘。本貫は楊州(ヤンジュ)。
仁祖の第一王妃である仁烈(イニョル)王后韓(ハン)氏が亡くなると、
15歳のとき44歳の仁祖に嫁ぎ、26歳で寡婦となり、一人の肉親もなく40年生き、
粛宗14年(1688年)に昌慶宮で65歳の生涯を閉じました。
今は京畿道九里市の徽陵に眠っているそうです。
邪魔者は全員亡くなった・・・としゃーしゃーと話すオクチョンに、
オクチョンの評判が悪く王妃の評判と正反対だとヒジェ(兄)が伝えます。
(いちいち伝えなくても本人もわかりきっていると思うのですが・・・)
王妃が進料理しか口にせず大王大妃の祭壇に祈り続ける中、
オクチョンの出産が近づき、産室(サンシル)庁が設けられました。
オ尚宮は高齢出産による悲劇が起こるのを望み、王妃から叱られています。
いよいよ出産の日。オモニ・・・!と呼びながらオクチョンが頑張っています。
その母は輿で入宮し、司憲府の持平イ・イクスからその日に限って咎められ、
外命婦の地位は?と尋ねられたチョン尚宮が答えられないでいると、
輿から引きずり出され輿が燃やされるという騒動が起きていました
例の側妻とよろしくやっているパク・テボがある夜帰宅すると、
成均館時代の学友であるイ・イクスが訪ねてきていました。
「変わり身早い男(粛宗)」、「言わなくてもわかる(オクチョン悪評)」本当ですね!