評判ガタ落ちの首陽(スヤン)大君を訪ねたクォン・ラム校理がこう話しました。
「世の中には首陽大君が右議政キム・ジョンソに屈したと思っている多くの者と
幼い王を守るためにみずから身を引いた思慮深い方と思っている少数がいます。
力を蓄えて羽ばたくためにしばらくは腰を低くして耐え忍んでください・・・」。
首陽大君息子の妻ハン氏は、帰って行くクォン・ラムにたっぷりの米俵を与えます。
そのことで姑のユン氏と夫の桃源君(トウォングン)から咎められると、
「高貴な身分になるが夫に早く死なれる」という僧の予言を思い出しました。
クォン・ラムはその米俵をハン・ミョンフェ夫人に「ヤツからですよ」と贈ります。
八ヶ月目で生まれ「月足らず」と呼ばれたことで有名なハン・ミョンフェは
清州(チョンジュ)出身で、字は子濬(チャジュン)、号は狎鴎亭(アックジョン)。
ずっと妻の実家の世話になっていましたが、38歳にしてやっと官職を得て松都へ。
建国前にイ・ソンゲが居た敬徳宮(キョンドックン)で宮直(クンジク)になります。
ある日、松都にいるハン・ミョンフェを安平大君の策士イ・ヒョルロが都から訪問。
王位争いに備えて安平大君をオレと一緒に手伝わない?と持ちかけました。
イ・ヒョルロとハン・ミョンフェの二人は、卓越した先見性をもつ当時の才人。
ですがその政治観は異なっており、別の道を歩むことになるそうです。
首陽大君が静かなうちに譲寧(ヤンニョン)大君の支持を得なければ!と
イ・ヒョルロに説得された安平大君は譲寧大君に付け届けを贈って見事に玉砕。
首陽大君息子の妻ハン氏は「義父上派の名簿をつくれ」と執事イム・ウンに命じ、
どうして義母上(ユン氏)にいちいち報告するのよ!?と叱りつけつつ、
義父上の配下にたっぷりの心づけを与えなさい!と宝石を取り出しています。
オム・ジャチ内官の助言に従って尚宮や女官を集合させた恵嬪ヤン氏(世宗側室)が、
先王の承恩を受けたのになぜ出家しない?とお説教(自分はいいのでしょうか?)。
自分のことを「大王大妃」と呼ばせて内命婦を取り仕切ろうとしていました。
追放されたくないホン貴人に泣き叫びながら抗議された端宗が弱りきっています。
こうなったら王族に解決してもらいましょう・・・という左参賛ホ・フの主張を
右議政キム・ジョンソがしぶしぶ認め、首陽大君一家が宮殿にやってくることに。
大好きな叔父上の来訪を待ちきれずに、部屋を飛び出して出迎える端宗でした。
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