咸吉道で起きたイ・ジンオクの反乱を鎮圧すべく、首陽(スヤン)大君が出征。
旗を掲げて揚々と進む兵士たちに安平大君とキム・ジョンソの追従者は恐れをなし、
他の者も畏怖の念を抱いたそうで、これは全て首陽大君の計算どおりだったとか。
首陽大君は敵を内部分裂させるよう咸吉道観察使ソン・ボンジョに命じていました。
伝令を告げに来た敵兵をすぐに討って勇ましく戦いまくるイ・ジンオクでしたが、
明が目を光らせているため女真族は三日たっても加勢に来てくれませんでした。
不安になって業を煮やした仲間が寝返り、いともあっさり殺されてしまいます。
梁山(ヤンサン)出身のイ・ジンオクは、数々の戦功を立て辺境の部族に怖れられ、
六鎮(ユクチン)設置の功績でキム・ジョンソが後任に推薦し、世宗が認めました。
キムとイの二人の英雄の死は、後の首陽大君の治世に暗い影を落とすそうです。
ハン・ファクが右議政になると、「外戚なのに!」と左議政チョン・インジが非難。
親族が官職を与え合うのを禁ずる相避(サンピ)法というものがあるからです。
チョン・インジは首陽大君に反発を示し始め、喪中の王妃冊封にも大反対します。
反乱を平定した首陽大君に再び心酔する端宗は中外兵馬都統使の職を解きません。
こうして一時は孤立していた首陽大君のもとに、重臣たちが集まり始めました。
ハン・ミョンフェの職は、王の馬を世話する司僕寺(サボクシ)少尹(ソユン)。
粛清の子分たちは「俺ら冷遇されてる?」と憤り、クォン・ラムもさびしそうです。
譲寧大君を端宗と和解させて酒盛りしつつ、首陽大君が結婚ばなしを持ち出します。
いい娘いない?と夫人ユン氏もキム・スオンと信眉大師に協力を仰ぎました。
その人選しだいで仏教政策に影響が出ることを、この兄弟は十分理解しています。
桂陽君夫人が見つけたヒャンイは両親が逆賊として処分された両班の娘だそう。
ヒャンイの鼻っ柱の強さを気に入ったハン氏(首陽大君息子の桃源君の妻)は、
自分ちの侍女(ホン・ユンソンが気に入ってた娘)を姉の家に預けて帰りました。
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