時は過ぎ、世祖12年、端宗(魯山君)が亡くなり9年が過ぎました。
病気がちで全身に発疹ができてかゆみに苦しむ世祖のお体を掻いているのは
臨瀛(イミョン)大君の息子・亀城君(キソングン)イ・ジュンです。
まだ生きていてびっくり~!な孝寧(ヒョリョン)大君が見舞いに訪れ、
ここ数年の状況を上手に世祖との会話にして視聴者に教えてくれました。
現官僚だけに土地を与える職田制(チクチョンジェ)導入、号牌(ホベ)法復活、
『東国通鑑(トングクトンガム)』『経国大典(キョングクテジョン)』編纂など
世祖は善政をほどこしていたものの王室には不幸が続き心が弱っていました。
世子(後の睿宗)の妃(章順王后=ハン・ミョンフェ三女)とその息子も亡くなり、
夢に出てきた顕徳王后(端宗母)の呪いだ!と世祖がおそれおののいています。
またチョン・インジが自分に退位をせまり「そなた」と呼んだのを憤ってもいました。
息子のシン・ミョンが都承旨に、自分は領議政にまで登りつめたシン・スクチュが、
左議政だった吉昌(キルチャン)府院君クォン・ラムのことを思い出しています。
彼は端宗の命を救えなかったことを最後まで悔やみながら世祖のことを案じ続け
親しいハン・ミョンフェの欲望を心配しつつ領議政になれないまま逝去していました。
ハン・ミョンフェは世祖に警戒され一時は地方赴任も多かったようですが
上党(サンダン)府院君の称号をいただき今は右議政となっていました。
首陽家のチョ・ドゥンニムは内禁衛(ネグミ)の上護軍(サンホグン)に出世です。
世子妃だったハン氏は粋嬪(スクビン/スビン)の称号で呼ばれています。
屋敷には相変らず姉ハン氏が入り浸り中。桂陽(ケヤン)君は亡くなっていますね。
粋嬪ハン氏の長男・月山君(ウォルサングン)は風流な生き方を望む小心な性格、
長男よりもさらに厳しく躾けられた弟の者山君(チャサングン)は度胸があり聡明。
「欲は捨てた」と従兄チヒョンに話す粋嬪ハン氏の本心はどうなんでしょうね~。
病床の世子に冷酷だと罵られたことを思い出し一人泣き濡れる日もあるようです。
宮殿とはしばらく疎遠でしたが、月山君の婚礼にあたり久しぶりに訪問すると、
月山君のために集めていたという贈り物を王妃(貞熹王后)がくれるのでした。
突然シン・スクチュが領議政を解任され、後任は功臣でもないク・チグァンに決定。
ホン・ユンソン(仁山君=インサングン)に聞いたミョンフェが大殿へ乗り込みます。
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