なぜか死んでいないキム・ヒョソン先達にチャン・ノクス(張緑水)が語ります。
あんな夫でも私を愛してくれたし義父母もやさしくしてくれた、
心を鬼にして子供を置いて出てきた、もう昔の私とは違うのよ・・・!と。
そして白装束を着て没落両班の寡婦になりきり、キム先達と共に妓生房へ面接に。
踊りはともかく男を誘惑する技術は天性だわねと女将チョヒャンが評します。
本来は公的な奴婢で王室の行事に動員された妓生には国の教育が義務づけられ、
掌楽院の教育は厳格極まりなく、1年に4回の試験に合格することが必須でした。
科目は伽耶琴(カヤグム)、郷琵琶(ヒャンビバ)、杖鼓(チャング)、
牙箏(アジェン)、奚琴(ヘグム)など楽器のほか、踊りや歌曲、宴会での礼儀作法、
漢学や書道に及び、韓国の伝統芸術の多くは妓生によって引き継がれました。
ファン・ジニら妓生が名声を得たのも当然だったそうです。
いつか宮殿の中で暮らしてやる・・・!と訓練していたノクスがいつの間にか合格。
客の部屋に近づくな!3年は下働きよ!といわれて妓生房で小間使い中です。
下働き仲間の口の悪いおばさん(元妓生)に踊りを教えてもらうノクス。
お尻を振るだけじゃダメ!と得意の腰ふりふりが思いっきりけなされます。
成宗の兄・月山(ウォルサン)大君が、子供も残さず原因不明の病で逝去。
(遺体の鼻の穴に詰め物までしていて、けっこう芸が細かいです!)
息子が死んだというのに仁粹(インス)大妃は一粒の涙も流しませんでした。
23歳で夫の徳宗と死別し、成宗を陰で操った鉄の女に涙は許されなかったとか。
寡婦となった姉の月山大君夫人を目の当たりにした斉安(チェアン)大君夫人は、
子供だけはほしいの!と夫に襲いかかってまた拒否されてしまいます。
斉安大君に女を知らないことを打ち明けられちゃった太子(後の燕山君)は、
太子嬪シン氏が政治を気にするようになったことに悲しい憤りを感じています。
そして多くの詩を書いた燕山君の孤独を推測するナレーションが入りました。
太子の情報をキム貴人らに流すのをやめ、大妃だけに報告するパク尚宮。
家族が多い(=不正しがちな)パク尚宮のことをキム・チョソン尚膳がマーク中です。
内侍には長番(チャンボン)と出入番(チュルイッポン)の2種類があり、
宮殿外に出られないかわりに出世が早い長番に比べて出入番は格下でした。
出入番であるキム・ジャウォンの養父は人はよいものの公私の区別がないため
キム・チョソン尚膳は彼を軽蔑していましたが、ある頼みを聞いてやります。
こうしてジャウォンは、病気の生母に会いに外出することが許されました。
外出しようとした矢先、なんと宮殿内に母の姿が!太子が手配させていたのです。
庭でそんなに滑るか?というほど何度も滑ってコケながら走り寄るジャウォン。
感動の再会を果たす母子に太子は涙を流し、尚膳も陰から見守るのでした。
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