後に王位を継ぐ延礽君(ヨニングン)は、トンイ(淑嬪)が産んだ息子。
「トンイ」終盤ではこの延礽君の存在感がぐんぐん増してきます。
張禧嬪らは息子の世子を脅かす存在として延礽君を敵視しますね。
けれども記録によると当時の実際の状況は
世子(後の景宗/禧嬪息子) VS 延礽君(後の英祖/淑嬪息子)とは
ちょっとニュアンスが違っていたのかもしれません。
実は粛宗には明嬪パク氏の生んだ延齢君(ヨリョングン)という王子もいました。
3人の王子たちを年齢順に並べると以下のようになります。
◎世子(景宗)1688年生まれ・・・母は禧嬪
◎延礽君(英祖)1694年生まれ・・・母は淑嬪
◎延齢君1699年生まれ・・・母は明嬪(ドラマには出ず)
晩年の粛宗は禧嬪の生んだ世子への愛情がすっかりうすれており、
延礽君以上に延齢君を可愛がっていました。
世子の座に延齢君を据えたいと思っていたふしもあるとか。
ところが粛宗が亡くなる1年前に延齢君が20歳で逝去してしまいました。
こうして老論派が支持すべきは延礽君一人に絞られたのです。
景宗の妃は昭顕世子(仁祖息子)の子孫を養子にすることで
延礽君に王位が流れないようにしようとも考えていましたが、
老論派がさっさと延礽君を世弟に定めてしまったうえ
景宗がわずか4年の短い治世で崩御して延礽君(英祖)が即位しました。
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この王子、気になりますよね。チャンヒビンやトンイで長男次男の争いになっているけど、実際は全く違う雰囲気だったんだろうなと…
トンイは仁元王后さま登場ですごく楽しみです(^O^)