謝恩使として明へ赴いていた左議政ハン・ファク(世子妃ハン氏の父)が、帰国途中で病に倒れ息を引き取った。世子妃ハン氏は上王・端宗の処遇についての遺言を聞いてこられなかった従兄ハン・チヒョンを責める。続いて、かつて首陽大君時代の世祖が顧命謝恩使を務めた際に同行した左議政イ・サチョルも亡くなった。
ソン・サンムンらの決起を黙認していた端宗を許せない世祖は、端宗廃位の根回しをする都承旨ハン・ミョンフェを容認し、さらに功臣たちを昇進させる。自分たちが何をすべきかを悟った功臣たちは端宗を弾劾して座り込んだ。ハン・ミョンフェは吏曹判書クォン・ラムと右賛成シン・スクチュをこの動きに巻き込まず、シン・スクチュは弾劾を止めなかった自分を悔やむ。世祖は功臣たちの連座を解散させた。
あるとき端宗が父の位牌がある文昭殿で泣き崩れ、世祖は体面を傷つけられたと憤る。そんな折、府院君ソン・ヒョンスを端宗側室の父クォン・ワンが訪問。この目撃談が王妃(貞熹王后)弟ユン・サユンを経て同副承旨キム・ジルへと伝わり、謀反事件に発展した。ハン・ミョンフェは世祖の意図を読み取り、厳しい取調べを命じる。
端宗はソン・ヒョンスの救命を嘆願。世祖は端宗を魯山君に降格して寧越へ送り、大妃(定順王后)を浄業院に入れた。ソン・ヒョンスは夫人や幼い娘とともに遠地で官奴となった。世子妃ハン氏は再び王子(者山君)を出産したが、世子の病は快復しない。世祖一家が定順王后や顕徳王后(端宗母)に呪われていると噂される中、世祖は文昭殿で兄に必死に祈り、辞職を申し出た領議政チョン・インジが怒鳴りつけられる。その頃、順興に流されていた錦城大君(世宗六男)の反逆計画が発覚した。
吏曹判書に昇進したハン・ミョンフェが、世祖の後継が病弱な世子か幼い次男(海陽大君)しかいないという状況に危機感を抱く中、世子が19歳の若さで生涯を閉じた。重臣たちは錦城大君とソン・ヒョンスを弾劾。譲寧大君は一貫して魯山君への厳罰を望み、反対に弟の孝寧大君は慈悲をほどこせと進言しつづける。
錦城大君、ソン・ヒョンス、魯山君の極刑が決定した。「王命のとおりに賜薬を下しても褒美はもらえない」とハン・ミョンフェに示唆された礼曹判書ホン・ユンソンが、寧越に向かう禁府都事にある命令を下す。こうして魯山君は王命に拝礼している最中にとつぜん首を締め上げられ、心ある寧越の人々によって葬られた。世子の葬儀がしめやかに行われた後、ハン氏は幼い月山君と者山君を連れて宮殿を出た。
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