ミン・ジェがイ・バンウォン(靖安大君)にチョン・ドジョンとの和解を促すと、
死ぬ前に王妃(神徳王后)が私を殺せとチョン・ドジョンに言ったのに?と拒み、
主人がだめになったら我が一族も滅びますよと夫人ミン氏も父親に反論します。
王妃の埋葬地を探す太祖は風水的にイチオシの楊州にも母岳にも親しみを覚えず、
ふと目に入った宮殿近くの木覚山(モンミョクサン)をたいそう気に入りました。
都城の内に墓をつくるなんて!とトゥン・ドゥランも無学大師も反対しますが、
「私がほかの女にほれたことがあるか?私は王妃のために生きてきたのだ!」。
100間を超える大寺を都城内に建立することに、もちろん臺諌たちは大反対。
太祖はその上書に激怒し、建設を強行させ、朝から晩まで工事に立ち会います。
一方のチョン・ドジョンは「陣法訓練と私兵解体!」と相変わらず意欲マンマン。
それはちょっと~とナム・ウン&シム・ヒョセンすら同意できかねるようですが、
軍権もすべての官位もチョ・ジュンに委譲するという大胆な作戦を披露しました。
つまり、私欲のために軍事政策をすすめているのではないことを示すとともに、
表に立たせたチョ・ジュンを太祖を通じてコントロールするつもりなのです。
そのころ明では、王妃の逝去を報告に来たソル・ジャンスがクォン・グンと再会。
表箋文事件で先に明に来ていたチョン・チョンたちもこの時点では無事でしたが、
国葬でも明で喪服を着てはいけないという皇帝の指示を守らず喪服を着ました。
この喪服着用を表向きの理由に(実のところはチョン・ドジョンの仲間だから)、
チョン・チョン、ユ・グ、キム・ヤッカン、チョン・シニが明で命を落とします。
高麗末期に科挙に合格したチョン・チョンは、19歳で春秋館検閲になった神童。
清州出身、号はポクジェ。兵曹判書と吏曹判書を経て政堂文学に就いた人でした。
帰国したクォン・グンとソル・ジャンスから事情を聞いた太祖は、憤怒の形相。
軍事政策が招いた結果だ!とハ・リュンらに責められてもチョン・ドジョンは
「明の正体がわかってよかったです。遼東征伐を!」と全然めげていません。
江界に赴任していたチョ・ヨンムが、病を理由に辞職して都に帰ってきました。
悪い時期に戻ったな・・・早まって動くなよ・・・と親分バンウォンが命じます。
そんな折、明から帰国したクォン・グンが姻戚であるバンウォンを訪ねました。
明の使臣ファン内官にチョン・ドジョンを討つ約束をしたとバンウォンが話すと、
だめです!彼ほどの人材はいない!手を結んでください!とクォン・グンが反論。
私を止めるなら今すぐ出て行かれよ!と恐ろしい形相のバンウォンなのでした。
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