まだ間に合うから共に生きましょうというイ・バンウォン(靖安大君)の説得を、
チョン・ドジョンが「死んでも志が生きる」「鳥でも夕暮れがわかる」と断ると、
ヤツを倒すのはオレにやらせてください!と志願していたチョン執事が斬りました。
ドラマの中で「サンボン(三峰)」という号で呼ばれていたチョン・ドジョンは、
刑部尚書チョン・ウンギョンの子で慶尚道(キョンサンド)奉化(ボンファ)出身。
朝鮮の歴史において彼ほど秀でた人物はおらず、その業績は語りつくせないほど。
まず太祖(イ・ソンゲ)を補佐して建国に貢献。『朝鮮経国典』の編纂をはじめ、
政治・経済・文化・芸術・兵法に関する多くの書物を著し、改革を進めました。
民本主義と遼東征伐をめざした時代を超える理念は王権主義により倒れましたが、
バンウォンは人間的に憎んでいたわけではなく、息子は生かし官職も世話します。
後に太宗として即位してからはチョン・ドジョンの政策を執政に利用しました。
バンウォンの命令により、チョン・ジュンらが太祖に世子廃位を申し入れます。
チョン・ドジョンらの悲報を聞いた太祖は「ねいのーん!バンウォンの奴め!」。
こいつらを引きずり出せ!と命じても、甲士も別監ももう命令には従いません。
チョ・ジュンらがのこのこ戻ると、バンウォンは有無をいわさず再トライを命じ、
ハ・リュンやイ・スクポンも加わり、脅しを込めつつ太祖の説得にかかります。
かつてはあんなにカリスマ性のあった太祖も、もうどうしようもないのでした。
次にハ・リュンは、次の世子にバンウォンはならないというイメージ戦略を発表。
欲がなく嫡子もいない太祖二男バングァ(永安大君)を世子にすると決めます。
この乱のとき、バングァは正妻キム氏と一緒に楊州の側室の家に逃れていました。
彼に正妻の子供はいませんでしたが、後に誠嬪(ソンビン)となるチ氏をはじめ
側室7人との間に15男8女をもうけたとか。(王位に欲はなくてもそっちの欲は♪)
望んで世子になったわけじゃない!と泣いて命乞いをするバンソク(宜安大君)。
異母兄バンウォンは何も答えず、配下がバンソクを連れ出し道端で斬ります(涙)
続くは、六男バンボン(撫安大君)とイ・ジェ(興安君/ギョンスン公主夫)。
バンウォンはそのまま行かせるもバンガン(懐安大君)が追いかけて始末します。
「他人さえも生かしたのに兄弟を殺すはずがない。イ・ゴイ親子が勝手にやった。
今は民心を静めるべきなので怒らず我慢した」と後に太宗が『実録』に残しますが
当時の事情からしてこの記述は真実とかけはなれているとされているそうです。
こうして世子の座を辞退した(ふりの)バンウォンではなく兄バングァが世子に。
いやだ!こわい!と本気で嫌がっているバングァを、バンウォンが説得します。
チョン・ドジョンの血まみれの衣類を前に、ミン氏がうれし涙を流しています。
ポクソプは尚宮になるわね!と宮殿に引っ越す気マンマンで喜んでいたのに、
世子になったのはバングァとのしらせが入り、到底受け入れられないのでした。
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