大司憲ユ・ジョンヒョンが張り切って追及するも、ミン兄弟はもちろん否認。
手ぬるいやり方すんなよと太宗は棒&重石&焼きごてを用意させ(こわいです)、
春秋館で史書編纂中の領議政ハ・リュン&イ・スクポンも立ち合わせろよと命令。
同じく呼び出された世子(譲寧大君)はチェ内官を蹴った後で尋問場へ行きます。
言いがかりだ!義弟を罰して恥ずかしくないのですか?と反論するミン兄弟を、
お前らが言ってた「いい日」って反逆だろ?と太宗が容赦なく痛めつけさせた上、
遅れて来たハ・リュンとイ・スクポンと世子をねちっこく責めるのも忘れません。
次はオレが粛清される番なのだ・・・とイ・スクポンははっきりと悟りました。
水をかけても白状しないため、いかにもハリボテな重石がミン兄弟の膝にドン!
もちろん死なせてやるがその前に自白しろ!と太宗デカ長がしつこく迫りました。
焼きごてジュージューされたミン兄弟がやけっぱちで認めるとすぐに記録させ、
お前ら王妃と一緒に敬寧君(孝嬪息子)を始末しようとしたことあるよな?と
王妃がトクシルと張り合っていた私邸時代のことまで持ち出して責めまくります。
その王妃(元敬王后)は封鎖された中宮殿で悔しさに身もだえするばかりでした。
「親戚はたくさんいるが、王室にとっては何の助けにもならないどころか敵だ」。
その夜の大殿で太宗はそう話すと立ち上がって世子の手を握り、言葉を続けます。
「全てのそしりは私が受けよう。だが将来の栄光はお前のものになる・・・」。
私に栄光を与えるより民心をお考えください・・・とどこまでも考えの違う二人。
ついに世子が「廃位してください。父上もお悩みのはず」ときっぱり願いました。
世子のためなら命も捨てられる!お前は朝鮮の世子だ!と泣いて懇願する太宗。
その後、世子がまた出かけたとチェ内官に報告されると、意外な指示を出します。
「放っておけ、叔父が死ぬのだ、外で酒くらい飲ませてやれ、尾行もやめろ」。
太宗はミン・ムヒュルとムフェの兄弟を馬に乗せて原州(ウォンジュ)へ送らせ
絹のヒモと賜薬を用意させて内禁衛将(ネグミジャン)も同行させよと命じます。
かつてミン家をかばい現在流刑中のイ・ジソンにもついでに賜薬を届けさせると、
オレも世子みたく気晴らしするわ・・・スクポンちで・・・とつぶやきました。
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ミン氏一族滅亡ですか。ぅゎー
「けりをつけねば」
「私が直接尋問を行う!」いざ出陣!尋問へ!
バンウォンさんがんばれ~!!
『あ』
ぃぇ、肯定するわけじゃないのですが生かしておくときっとのちのち政変にまで発展するとの考えは正しいと思うのです。(王朝を磐石のものにするには)
1400年ごろですよね!?このお話
ずっと後に書かれたので真相は「?」なのですが、
日本も足利義満3代将軍が勘合貿易で財をなし用済みになったある意味スポンサーである側近の守護大名をことごとく討伐、金閣寺に公家を招いて力を見せつけ血縁だろうが側近だろうがお構いなしに排除。これらは次の代、足利幕府安泰のためと言われています。
もっと、エグイ排除があったとも・・・・。
だからやっぱり、ひとつの国をまとめるのは大変なのです♪