太祖(イ・ソンゲ)の即位により新しい王朝が開かれ、国の機構が改革されます。
新たな法令はチョン・ドジョンが作り、両班・吏曹・礼曹などの言葉も誕生。
門下府判事ホン・ヨントン、門下左侍中ペ・グンニョム、門下右侍中チョ・ジュン、
門下侍郎賛成事チョン・ドジョン、門下府参賛トゥン・ドゥラン(太祖の弟分)、
芸文春秋館太学士ミン・ジェ(イ・バンウォン義父)らが王の側近となりました。
前王族ワン氏一族は一箇所に集められ、“高麗を滅ぼした”イ・セク一味は処罰。
仏教や僧侶を遠ざけて儒教を国教にするという「抑仏崇儒」政策も始まります。
三国時代から高麗まで国を支えた仏教を新しい国造りのためには断たざるを得ず、
仏教の弊害がてんこもりに記されたチョン・ドジョンの著書『仏氏雑弁』も
掘り下げてみればその主張は朝鮮王朝を正当化するのに好都合だったそうです。
ですが高麗の影は消せず、地方からは「官職を辞す」という上書が次々に到着。
56人もの高麗旧臣が処分され(イ・セクは太祖の配慮で遠島送りにならず)、
高麗王族と同じワンの名字の者は男女を問わず捕らえられ全国から集められます。
イ・ソンゲの京妻カン氏が王妃(神徳王后)となり、采配を振るい始めました。
王子の殿閣が中宮殿から遠い!女官を管理せよ(王をおわたりさせるな)!と
提調尚宮ヨム尚宮(「女人天下」バラし屋キム尚宮の方!)を怒鳴りつけてます。
アン大王大妃は義和(ウィファ)宮主(=側室)に格下げされ宮殿から追放です。
バンウォンは靖安(チョンアン)大君に、夫人ミン氏も貞夫人に昇格しました。
そして「10年も前に妊娠をあきらめていた」というミン氏が、なんとご懐妊。
ずっと仕えてきたパク内官に宝石を渡し、宮殿内外の情報収集を徹底させます。
弟分トゥン・ドゥランに自分と同じ名字を与えイ・ジランと改名させている太祖は
集めた息子たちの前で「イ・ジランはお前たちの叔父だ」と言い渡しました。
ところがその集まりに長男イ・ウンゲ(鎮安大君:チナンテグン)はいません。
高麗に忠誠心を持つ真面目な彼は「世子になりたくない!」と都を去ったのです。
今だから言うが彼ほどの息子はいない・・・とショックを隠せない太祖でした。
全国を大捜索しても鎮安大君は見つからず、次男バングァも世子の座に及び腰。
その座を狙っているミン氏は王妃カン氏のことを「油断のならない方」と評し、
ミン氏の予想通り、王妃が占い師を呼んで誰が世子になるのかを尋ねています。
そんな折、地方への赴任が決まったハ・リュンがバンウォンに忠誠を誓いました。
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