ウ王14年(1388年)6月6日、ウ王が内侍80人を武装させて宮殿を出ました。
寧善(ヨンソン)翁主が全力ダッシュでイ・ソンゲ五男のバンウォンに報告。
バンウォンが楸洞(チュトン)の父の家へ急ぐと、興国寺へ行っており不在でした。
空振りだったウ王が次に左軍チョ・ミンスの家へ向かうと、彼も興国寺へ外出中。
勇んで出かけたのに誰も成敗できなかったウ王がビックビクで宮殿に戻ります。
対応策を練ったイ・ソンゲたちは、まず宮殿から武器と兵馬を運び出させることに。
さらにシンドンの子といわれるウ王の廃位と定昌(チョンチャン)君の擁立も画策。
「生かしてやったのにウ王は恩知らず!早くイ・ソンゲが王になればいいのに!」と
イ・ソンゲの武官仲間をはじめ京妻カン氏やバンウォンたちは思っていますが、
イ・ソンゲ本人にはそのつもりはないのか(?)けっこう慎重な発言をしています。
ここで前の恭愍王の継妃でアン・グビンの娘である大妃(定妃/チョンビ)が登場。
なんと「女人天下」オム尚宮の方ですよ!すごく若くてなんとほっそりしてます!
その大妃を、イ・ソンゲと協調していたはずのチョ・ミンスがひそかに説得します。
「世子(ウ王息子)を王にすべきです!韓山君(=多分イ・セク)も同意見です」。
そして6月8日、ウ王は二人の妃(うち一人は寧妃)とともに江華島へ流されました。
在位期間は14年、年齢は24歳でした。(ウ王は父王と奴婢の間の子なんですね)
翌日登場した新王(昌王)に皆はびっくり。ウ王の息子(世子)だったからです。
だましたなー!と激怒したイ・ソンゲがチョ・ミンスを責めまくっています。
亀山寺の僧侶と人相見(後でハ・リュンと判明)が松岳山でおしゃべりしています。
バンウォンを一度だけ見かけたことのある僧侶は「悪業と輝き」を見たとか。
おなじとき・・・松岳山では即位をいやがる定昌君を王族ワン・ドクが説得中。
バンウォン夫人ミン氏に命じられたイ・スッポンがそのようすを偵察しています。
イ・ソンゲの意を受けたチョ・ジュンが見事な田制改革案を提案しました。
威化島から戻った武官たちは賛成し、チョン・モンジュは中立の立場をとり、
チョ・ミンスや韓山君らに代表される名門貴族たちは反対しました。
民からどれだけ土地を奪ってきたのか?とイ・ソンゲが熱弁をふるうそばで
幼い昌王はあくびばかりして興味なさそう。臣下に催促されて「OK」と答えます。
この改革に民は大喜び。名門貴族が没落し、朝鮮王朝を築く基盤になりました。
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愛するドラマの名前を打ち間違えてしまうなんてアホですね~。
さっそく訂正いたしました!感謝いたします。
寧善翁主は「女人」の正妻キム氏が幼さも残っているような
かーなーりお若い頃に演じられていてちょっぴり必見です!
基本的にはおっしゃるとおり「龍の涙」と同じなので
どちらかをすすめろといわれたらもちろん「龍の涙」のほうが断然です!
というか「龍の涙」を見ていないと理解が難しそうな
ちょっと不親切なつくりだったりしますね。
でもウラ龍の涙として見る分には楽しいです♪
昔のドラマなので全体的にショボいけど正統派です。