500年続いた高麗王朝のために尽くすべきと考えているイ・ソンゲ(後の太祖)が、
五男バンウゾン、京妻カン氏、チョン・ドジョン、チョ・ジュンはもどかしいばかり。
宮殿では、チルチョムソンを預かったノ尚宮が、寧善翁主では?と気づきました。
そこへバンウォンが突然入ってきて、隠しとおせ!とノ尚宮を脅しつけます。
女官のスタッフ部屋にちょうどよいタイミングで入れるバンウォンがすごいです。
右代言(ウデオン)の職にあるバンウォンが母の看病のため辞職を願い出ました。
恭譲王はバンウォンがイ・ソンゲの息子なので気を遣っているようですね。
休みをもらったバンウォンは抱川(ポチョン)の宰壁(チェピョク)洞の母のもとへ。
着くなり長兄バンウ(高麗王朝派)に責められ、やがて父イ・ソンゲも到着します。
郷妻ハン氏は皆に看取られながら1391年9月23日に55歳で逝去しました。
あと7ヶ月生き長らえていれば朝鮮王朝初の王妃になれたというタイミングでした。
礼曹判書が全羅道観察使ハ・リュンをバンウォンに引き合わせました。
バンウォンの人相を見たハ・リュンは「自重なされば望みがかなう」と診断。
3月の間だけでもここにいろとすすめ、「落馬」というキーワードを与えました。
世子が明から戻ってくるから迎えに行ってくれないかとイ・ソンゲに頼む恭譲王。
その途中で数日ほど狩りをしていいですか?と許しをもらおうとするイ・ソンゲに、
もちろんじゃ!そなたの自由だ!と許可を与えて忠誠心をほめたたえます。
ところがその狩りで、馬の扱いに慣れているはずのイ・ソンゲがまさかの落馬。
恭譲王の側近チョン・モンジュは、この機にイ・ソンゲを倒すべしと主張します。
すっとんでいって父を看病するバンウォンに、夫人ミン氏からの手紙が届きました。
「恭譲王の側近チョン・モンジュが義父上の側近を罰したり地方へ飛ばしました!」。
馬と担架で父イ・ソンゲを急いで都へ運ぶバンウォン。父に休憩も与えません。
イ・ソンゲが無事に秋洞に着いたと聞いた恭譲王は、見舞いに行けと世子に命令。
お前たちも見舞いに行きなさい・・・とチョン・モンジュたちにも命じます。
なぬ?チョン・モンジュが見舞いに?討たねば!と意気込むバンウォンたちでした。
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