ソッポ大師はソンの娘にオク・セウン(玉世運)と名づけてやりました。
もちろんオク(玉)とは、高麗王族の名字ワン(王)に点を加えた名字です。
イ・スッポンの息子の名付け親になったのは、太祖五男のバンウォン。
ギルソン(吉善)という立派な名前をつけてもらってイ・スッポン大喜びです。
ところが、亀山寺から戻ってきたイ・スッポン母の顔色は冴えません。
なぜならソン夫妻も同じ5月23日丑の刻に子供を生んだと知ったからです。
(ソンの正体を知って驚いたのかと思ったら、ポイントが全く違いました)
それを聞いたイ・スッポンの手下がソンと子供を狙いに家に押しかけるも、
ソッポ大師がダチのハ・リュンの名前を出して追い払ってくれました。
怒ったイ・スッポンが仕返しに向かっていると、バンウォン様からお呼び出し。
「漢陽(ハニャン)に移るぞ!財産がないお前たちは身一つでいいからラクだな♪
スッポンには瓦の家を用意してやろう♪くれぐれも体面を汚す行動をするなよ」。
太祖4年(1395年)6月6日、漢陽府(ハニャンプ)が漢城府(ハンソンプ)に。
地方の役人が移っていた見州(キョンジュ)を楊州(ヤンジュ)郡と呼ぶそうです。
10月7日には新しい宮殿が完成し、チョン・ドジョンが「景福宮」と定めました。
彼は書物を読み漁り、各殿閣にも美しく意味深い名前をつけます(ex.康寧殿など)。
どーでもいいのですが、ソンの息子がひきつけを起こし、ソッポ大師が診てくれます。
同じときにイ・スッポンの息子もひきつけになり、医師が来る前に治りました。
イ・スッポンが去るのだから開京にいればいいのに、ソンは漢陽に行きたがります。
「高麗王朝を滅ぼした俗輩が滅びる姿を見たい・・・生き様を見届けたいのです!」。
バンウォンの漢陽の住まいは、時代劇でおなじみのあの階段つきのお屋敷ですよ!
みずから町に出て商人や農民の暮らしの実態を調べるなど、精力的に動いています。
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