太祖(イ・ソンゲ)が即位した翌7月18日、大雨が降り、干害に苦しむ民が喜びます。
「お前はまだ王妃じゃないし世子も冊封してないぞ!王位を狙ったと思われる!」。
宮殿に入ったとたん二人の息子に官服を着せた京妻カン氏を、太祖が叱りました。
その野心マンマンなカン氏の行動を、引き続きスパイを担っている寧善翁主が報告。
世子は正妻の息子に決まってるじゃないか!とバンウォンが長兄バンウを訪ねると、
父に批判的だったバンウが「農夫にでもなったほうがまし!」と家を出た後でした。
「忠臣は二君に仕えず」のポリシーのもとに、学者たちが新王朝に背を向ける中、
太祖はチョ・ジュンに弟を、バンウォンに学者ウンゴクを呼び戻せと命じます。
幼いバンウォンに読み書きを教えたウンゴク(ウォン・チョンソク)は出仕を拒み、
江原道の雉岳(チアク)山へ向かうと高麗を懐古する次のような詩を残しました。
興亡は運が左右する 満月台には秋の草が残る 高麗の王業は牧笛になった
夕日が沈む場所を歩く 旅人は悲しみを隠せない・・・
キルジェ(吉再?)という高麗遺臣も、詩を残して都城を後にしました。
彼らと同じように高麗王朝に忠誠を尽くすと決めているチョ・ジュンの弟は、
名前をキョン(犬)に、雅号は従犬(チョンギョン)と変えたと兄に宣言します。
さらに70人の知識人が開豊(ケプン)郡の広徳(クァンドク)山に入山。
俗世と縁を切って暮らす彼らの谷は杜門洞(トゥムンドン)と呼ばれました。
燃やせば家に戻るはず!傷つけずに説得します!と訴える朝廷を太祖が認めるも、
彼らは決して杜門洞から出ようとせず炎の中で命を落としたそうです。
イ・スッポンをはじめ、マ・チョンボ、モク・イネ、ソン・ゴシンなど。
晴れて王子となったバンウォンのそばに、どう見てもならず者な面々が集って宴会。
兄貴?奥様?無礼者め!と叱った夫人ミン氏は、じゃあどう呼べば?と聞かれると、
「主人のことは旦那様と呼び、楸洞に越した私のことは楸洞宮ママと呼びなさい」。
高麗王ワン氏一族をまとめて遠くへ移しましょう・・・とチョン・ドジョンが提案。
直系は巨済(コジェ)島、傍系は江華(カンファ)島に移されることになりました。
ワン氏は胸中では太祖の措置に感謝しながら移送船に乗ったそうです。
ところがバンウォンの密命を受けた部下たちが、船を沈没させてしまいました。
靖安(チョンアン)君になった♪と喜んでいるバンウォン(ズラが不自然)に、
東北面へ行けと命令が下されます。それは王妃(神徳王后カン氏)の差し金でした。
スポンサード リンク