仁祖5年1月13日の明け方、後金(清)から押し寄せた3万人の大軍が義州城を占拠。
翌日には龍骨(ヨンゴル)山城のある龍川へ向かい、続いて郭山と定州も陥落。
もともと国防に問題点のあった朝鮮は、後金に太刀打ちできなかったそうです。
(おまけに内情を知り抜いている都元帥カン・ホンリプ将軍らが率いているので)
総指揮を執る後金のアミタスが何かとちょっぴりアホキャラに描かれていますね。
郭山郡守パク・ウィグォンと定州牧使キム・ジンの命を助けるかわりに
イッヒッヒ~と夫人たちをいただいちゃいました(当たり前なのでしょうけど)。
やすやすと妻を差し出す祖国の士大夫の姿にカン・ホンリプは失望を隠せません。
あんなふうだから国書も送れないのです!と部下(パク・ナニョン?)が憤ります。
都では・・・新領議政ユン・バン(文禄慶長の役を収拾したユン・ドゥスの息子)が
5回も領議政を務めたのに自分で庭掃除までする前領議政(イ・ウォニク?)に挨拶。
兵制の改革が急務ですよと助言されているところに、義州の事件が知らされました。
宮殿の仁祖にも伝えられ、会議を開いていると、ホンタイジからの書状が届きます。
それには4つの許せない罪が挙げられており、「父が崩御したとき弔問がなかった」
「宣川(ソンチョン)の戦いで良民を生かしたのに使臣を送って礼をしなかった」
「私の敵である毛文龍(モンムリョン)をカドにかくまい食糧を与えていること」
「遼東は私たちの領土なのに朝鮮が民を救おうとしている」と書かれていました。
・・・ってことでそっちに攻め込むからな!という宣戦布告に朝廷一同焦りまくり、
兵曹判書チャン・マンを都元帥に、イ・ギョンピルを従事官に任じて平安道へ。
さらにシム・ギウォンを都巡検使に、キム・ジャンセンを全羅号召使(ホソサ)に、
チャン・ヒョングァンを慶尚号召使にして勤王兵(クヌァンピョン)を選ばせ、
戸曹判書イ・ソには兵を南漢山城へ行かせ、捕盗軍士らには臨津江を守らせます。
アミタス率いる後金勢は、攻防の要所とされる安州城へ向かっていました。
副元帥かつ平安兵使で元安州牧使ののナム・イフン将軍は、安州行きを志願。
各地の将軍も命をかけて安州に集まり、安州城内の民を避難させて敵を待ちます。
全羅道でウォルヒとよろしくやっていたイム・ギョンオプも一大事を知ったようです。
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