仁祖3年1月9日、都承旨キム・ジョジャムをはねつけた羽林将軍イム・ギョンオプが
全羅道の防踏僉使(バンダプチョンサ)として左遷されることになりました。
北方を討ちたいのに!と憤り、チャン・マンとチェ・ミョンギル(遅川)が慰めます。
昭顕世子の揀擇(カンテク)で第三審査まで終えた王大妃(仁穆王后)たちは
容貌にすぐれ気品もそなえているソア(ユン・ウィリプの娘)に大満足。
殿下のいうとおりあの娘にしましょう♪と嘉礼都監の設置が決まりました。
ところが、右賛成イ・ギや都承旨キム・ジャジョムらが激しく抗議しました。
仁祖はしぶしぶ認めるかわりに、上書を書いたシム・ミョンセと都承旨キムを追放。
(イ・ギだけはおそらく仁祖反正で功績が大きいため、おとがめなしです)
ってことで、最終揀擇まで進んだソアは、生涯結婚できない身となりました。
一人の女性の人生を台無しにしてしまった・・・と罪悪感に悩む世子の横で、
はなっからそんなことを全く気にしてなさそうだった王大妃がすごいです。
カン・ホンリプと共に後金で8年を過ごした副元帥キム・ギョンソが逝去しました。
国に送り返してやっては?と後金皇帝ヌルハチに長男チュエンが提案するも、
「あっちでは謀反者だし、ここで盛大な葬儀をして後金の支配下だと知らしめろ」。
後金に国書すら送っていない朝鮮の朝廷にもやがて後金での出来事は伝わり、
将軍たちの家族が生きていると知らせたほうがよくない?という動きも出ています。
仁祖は南漢山城の建立や号牌法の施行で国防の強化に努めていましたが、
そんなものが何になるでしょう?とチェ・ミョンギル(遅川)がキム・ユに話し、
カン・ホンリプに嫡子はいないので庶子スクを後金に派遣しては?と説得しました。
こうしてスクは庶子ながら堂上官の身分となり、後金に使臣として旅立ちます。
トッポ僧侶と衣食を共にして鍛えてもらったユ・ウンが、いよいよお寺をご卒業。
「全羅道のイム将軍のところへ行け。その前にユン・ウリィプ様に手紙を渡せ」。
ユ・ウンにそう命じると、トッポ僧侶も無心庵を後にして北へ向かいました。
トッポ僧侶の手紙を携えたユ・ウン@作務衣姿をユン・ウィリプは快く迎えてやり、
手紙で依頼されたとおり衣冠を与えたいからここに数日滞在しなさいと言います。
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