臨津江(イムジンガン)を渡ってきた清の12万の大軍に朝鮮はなすすべもなく、
清の太祖(皇帝)ホンタイジは親衛隊を連れて鴨緑江(アムノッカン)を越えました。
昭顕世子は都城に残ることにし、王子と世子嬪は位牌を持って江華島へ出発。
江華島を守る都検察使には領議政キム・ユの息子キム・ジョンジンが任じられます。
生後9ヶ月のソクチョルを抱く世子嬪が「女人」昌嬪(お直し前!?)に似てます!
都を守る人事として、留都大将シム・ギウォン、都監大将シン・ギョンジン、
御営大将ウォン・ドゥピョ、南漢山城防御使イ・シベク(イ・ギの息子)らが就任。
けれどもこの臨戦態勢は形式に過ぎず、彼らに兵はいなかったそうです。
仁祖14年12月14日、仁祖が江華島へ旅立ちます。これが三度目の避難でした。
ところが、南大門を出たときに新進官僚オ・ダルチェやユン・ジプらが抗議。
民に戦うことを宣言されたのに騙すのですか!と訴えるも退けられます。
さらに清のヨンゴルテやマブデが江華島への道を遮断しているとのしらせが到着。
そこで、これまで和親交渉にあたってきた吏曹判書チェ・ミョンギル(遅川)が
イ・ギョンジクを連れてヨンゴルテたちに会いに行くことにしました。
その途中で、敵陣へ乗り込むのが怖い護衛たちが逃げ出しちゃいます。
チェ・ミョンギルがヨンゴルテたちと話し合いをして時間稼ぎをしている間に
江華島行きをあきらめた仁祖が南漢山城(ナムハンサンソン)へ逃げ込みました。
「兵は1万2千人、食料は2か月分。どうすればいいのだ・・・」と頭を抱える仁祖。
王子と政丞を送れば和親を議論するという清の要求をチェ・ミョンギルが伝えます。
そして避難3日め、朝廷が議論している間に、南漢山城は清に包囲されました。
朝廷は、左議政ホン・ソボンの提案したごまかし策を採用することに(またかいっ)。
王族の綾峯守(ヌンボンス)を綾峯君(ヌンボングン)に改めて王子に仕立て、
気概があり頑固で有名な刑曹判書シム・ジプを右議政に見せかけます。
清の陣営に送られた二人はさっそく「またニセモノじゃ?」と突っ込まれ、
本当は私は刑曹判書でこちらは王族です・・・とシム・ジプが答えました。
すると使臣として向かったまま捕らわれているパク・ナニョンともう一人が呼ばれ、
ヨンゴルテにカマをかけられたパク・ナニョンは「王子と右議政です」と回答。
次に呼ばれたもう一人はそのまま素直に「王族と刑曹判書です」と答えます。
かわいそうなパク・ナニョンはその場で斬られ、二人は南漢山城へ返されました。
(ヨンゴルテいわく、シム・ジプの堂々とした態度に免じて命は許すそうです)
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