ニセモノを突き返した清が、今度は世子と政丞を送れと要求してきました。
私が行ってまいります・・・と昭顕(ソヒョン)世子は覚悟を決めています。
礼曹判書キム・サンホン(清陰)が強硬に反対し、国のために戦うべき!と主張。
皆の忠誠心を受け入れた仁祖は、公論を反和親と定め、世子を送りません。
前話で避難を批判した新進官僚オ・ダルチェやユン・ジプも民の前で演説し、
和親派の代表人物チェ・ミョンギル(遅川)への風当たりは厳しいようです。
仁祖14年12月19日、朝鮮側は少数で奇襲をかけて連勝を重ねるも、
24日に天候が急変し、25日には寒さのため多の人々が凍え死にました。
食糧も減り行き詰った仁祖は、もう一度使臣を送ると決め、こう命じました。
「決してこちらからは和親を口にせず、新年の礼物を渡してこい・・・」。
12月27日、牛と豚と酒を持ってきたイ・ギナムを、ヨンゴルテとマブデは嘲笑。
「こっちはその10倍を贈れるよ♪食糧不足なんでしょ?そっちで食べれば?」。
30日には清の皇帝ホンタイジが到着し、12万の総指揮にあたることになります。
仁祖たちを生きたまま降伏させたいホンタイジは部下ダイゴンに3万の兵を与え、
王子や世子嬪のいる江華島を攻めてこい!1日で終わらせろ!と指示しました。
やがて南漢山城に清の皇帝ホンタイジからの書状が届きました。
これまでの振る舞いを責めまくり「なんかあるなら言って来いよな」という
屈辱的すぎるその内容に仁祖はじめ臣下一同が涙を流して悔しさに震えます。
そなたの言うことを聞けばよかった・・・どうすればいい?と仁祖に聞かれ、
後金を清と呼び、皇帝と呼ばなければなりません・・・と答えるチェ・ミョンギル。
彼が書いていた清に送る書状をキム・サンオンが破り、絶食して抗議を示します。
1月22日、ダイゴン率いる3万人が江華島に上陸。朝鮮はほとんど戦わなかったとか。
一人でも多く生き延びるために、世子嬪は王子と別れ、幼い世孫を臣下に預けるも、
鳳林大君(後の孝宗)と麟坪大君(彼のかなり先の子孫が高宗)が清に捕まります。
こうしてチェ・ミョンギルらがヨンゴルテと和親交渉に入りました。
1月31日のホンタイジと仁祖の謁見についてヨンゴルテが色々と条件をつけます。
「三田渡(サムジョンド)に王は50人を連れてきてもいいけど礼を尽くせよな!
袞竜の御衣なんてとんでもない!官服と同じ藍色の服を着て西門から出ろよ!
世子や大君や高官の子供たちは瀋陽(しんよう=清の都城)に連れて行からね!」
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