丁卯胡乱(てい ぼうこらん)によって民は生きる意欲を失っていました。
向明排金(ヒャンミョンベグム)思想が崩れた朝廷の大義名分も大きな問題でした。
朝廷は、戦わずに逃げた平安監使ユン・フォン〔すでに故人で領議政弟)を責め、
イ・グァルの乱で失明しながら功を立てた都元帥チャン・マンを扶余(プヨ)に追放。
和親交渉にあたった吏曹参判チェ・ミョンギル(遅川)は罷免をすんなり受け入れ、
申し訳ない・・・ともみ上げ部分のズラ貼り付けがはっきりわかる仁祖が詫びます。
手柄を認められ中軍に昇進し再び全州監営になったイム・ギョンオプ将軍は
相変わらず後金に憤慨しながらトッポ僧侶に見送られ任地へ旅立っていきました。
側妻ウォルヒ、イム将軍の手下になったユ・ウンも全州へと同行するようです。
チャン・マンやチェ・ミョンギルの処分を聞いた後金皇帝のホンタイジがお怒り。
中華ルックを着てすっかり後金の役人になったハン・ユンが再出陣をすすめます。
でもまあカン・ホンリプはまだ無事だしいいんじゃない?という話も出ますが、
そのカン・ホンリプとパク・ナニョンもやがて朝廷の弾劾を受けました。
過失はないとはいえないが本人も罪を認め息子も人質になったし・・・と仁祖。
「後金を恐れて罰しないのではなく朝廷に手柄を立ててくれたから」だそうです。
訪ねてきたチェ・ミョンギルにカン・ホンリプが後金の実情を伝えて警告。
トッポ僧侶はチェ・ミョンギルに「カン・ホンリプは心の病だ」と話します。
16歳になった昭顕(ソヒョン)世子に再び婚礼話が持ち上がりました。
心やさしい世子は数年前に破談になったユン・ウィリプの娘(ソア)のことを心配。
殿下が推薦しただけあっていい娘だわーと以前の揀擇のときは言ってたくせに、
謀反者ですよ!と王大妃(仁穆王后)と王妃(仁烈王后)がぴしゃりと否定します。
じゃあ父親に官職を与えては?と世子は提案し、ユン・ウィリプが慶尚監司に。
仁祖はついでにチェ・ミョンギルを京畿監司に任じて政界に復帰させました。
再び揀擇話が持ち上がったソアに、トッポ僧侶が「仏像ちょーだい」とおねだり。
ユ・ウンが彫った仏像を大切にしているソアは嫌がり、揀擇も嬉しくなさそうです。
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