下山したトッポ僧侶が将軍ナム・イフンを訪ねました。僧侶ったら顔が広いですね!
当代一の武将ナム・イフンの雅号は、城隠(ソンウン)、字は子豪(チャポ)。
父はイ・スンシンと共に露梁海戦(ノランヘジョン)で命を落とした人物で、
宣寧(ウィリョン)出身で、宣祖35年の謁聖武科(アルソンムグァ)に及第し、
イ・グァルの乱を平定して功を立てて振武(チンム)一等功臣に封じられます。
後金を倒してやる!と意気込んでいるナム・イフンにトッポ僧侶が説きました。
「カン・ホンリプ様を帰国させるべきでは?庶子スクが使臣になりましたし」。
すると、あいつは病になったからまだ川を渡ってないよとニヤリと笑われます。
明の若き武将・袁崇煥(えんすうはん)と戦ったときの傷がもとでヌルハチが逝去。
次の皇帝(ハーン)に即位したのは、長男チュエンではなく八男ホンタイジでした。
野蛮な後金なんてフン!これで後金が衰えて明が復興する!というムードの朝廷で、
後金にも朝廷はあるのですから弔問か祝賀の使いを送っては?と言っちゃった
吏曹参判チェ・ミョンギル(遅川/チチョン)がかなりヒンシュクを買ってます。
それでもチェ・ミョンギルは警戒を怠るべきではないと考えているようで、
明に発つことになった副提学キム・サンホン(号は清陰/チョンウム)を訪ねると、
中原のようすを気をつけて観察してきてください・・・と頼みました。
後にこの二人は、後金の和親派VS排斥派となり立場を異にしてしまうそうです。
待てども朝鮮からの弔いも祝いも届かず、ついにホンタイジが3万の兵を動員。
この動きに最初に気づいたのは、昌州山城(チャンジュサンソン)の部隊でした。
昌州山城にはソ・ゴシン(徐狐臣)の部下が約600人ほど待機しており、
明の部隊が朝鮮の許可を得て後金の情勢を探る諜報の役割を担っていたそうです。
そこへ現れたトッポ僧侶が後金の動きをソ将軍から聞き、チェ・ミョンギルに報告。
近所に何かあれば米を送るべきでしょう!?と後金のことを馬鹿にする姿勢を責め、
カン・ホンリプが勝手に降伏したわけはない!なぜ使いを送らないのか!と訴えます。
翰林学士ユン・ウィリプの屋敷を訪ねたユ・ウンが、愛しい愛しいソアに再会♪
飢えながらも彫り続けて完成させた仏像を渡そうとすると、拒否されました。
「私はあのときとは変わってしまいました。心も体も私のものではありません」。
ユ・ウンはユン家を旅立ち、ソアは彼が残した仏像を手に別れの言葉をかけます・・・
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