イ・ビョク(広庵/クァンアム)の家に「天主学の道人」が集まってお勉強会。
中国に福音を伝えた司祭マテオ・リッチが著した『天主実義』を学んでいます。
クォン尚宮の偵察は「尚宮が両班夫人のフリをして探っている」とすでにバレバレ。
士大夫が学問をしているだけなのに?とちょっぴりのんきなイ・ブマンです。
報告を受けた正祖は、学問ならいいけど平等ってのが気になる・・・とつぶやきます。
正祖7年(1783年)10月24日、冬至使(トンジサ)謝恩正使ファン・インジョム、
副使ユ・イヤンや書状官イ・ドンウクらご一行がソウルから北京へ旅立ちました。
父ドンウクに頼んで同行を叶えたイ・スンフン(蔓川/マンチョン)も一緒です。
進士イ・スンフンはこのとき24歳。碩学と呼ばれたイ・ガファンの姉を母に持ち、
パンソク峠(現・中林洞)で生まれ、雅号は村の川に茂る蔓にちなんだものとか。
チョン・ヤギョン兄弟とクォン・チョルシン兄弟は彼に旅費を渡したそうです。
この旅でイ・スンフンは、韓国で初めて洗礼を受けた人物となりました。
ポンニョン僧侶に箱入りの賽銭を渡し、ユン・ボベを渡せとしつこいキム・ゴンシン。
もっともらしい説教で煙に巻くポンニョン僧侶に、ユン・ボベとの関係を話します。
武班の父のもとに生まれた二人は、父親同士が友人で、実は親しい幼馴染でした。
ところがホン・グギョンの勢力に巻き込まれた結果、ユン・ボベの父が裏切り、
官職をうばわれたキム・ゴンシン父は無念のままに命を絶ってしまったそうです。
ユン・ボベをそばに置くことが復讐なのです!とキム・ゴンシンが必死に説明。
けれどもその後、ユン・ボベがポンニョン僧侶にその続きを打ち明けました。
ユン・ボベの父はキム・ゴンシンの父との友誼を守り、後を追ったというのです。
次にキム・ゴンシンは、(元使用人の)ヤン兄弟を売ってくれとイ・ビョクに依頼。
平等思想に傾倒するイ・ギョクは、奴隷文書を焼いた!とぴしゃりと断りました。
ユン・ボベに促されて両班ファッションに着替えたヤン。ソナもうれしそうです。
市場をうろついていたらさっそくキム・ゴンシンに気づかれてしまいますが、
「無礼な!」「オッホー!」と怒って平然と人違いのふりをして去って行きます。
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