以前の記事で少し触れたようにドラマ「王女の男」は
『錦渓筆談(クムゲピルダム)』という書物を下敷きにしています。
『錦渓筆談』は、高宗10年(1873年)にソ・ユソン(徐有英)が書いた説話集。
2巻2本からなる141編が収められた漢文の書物で、伝承をもとにしています。
『燃藜室(ヨルリョシル)記述』のような、メジャーな野史なのでしょうか。
調べてみたところ私たちがすぐに読めるような日本語訳は出版されていないようで、
漢文体(韓国語かも)の古本ならあるようです。(解読できなさそう・・・)
ドラマのもとになったのは「血と涙が絡み合う、けなげな縁」という一編。
その内容とは・・・癸酉靖難(ケユジョンナン)を起こし多くの人を追放した世祖に
娘のセヒ(世熺/最後の文字は火へんに喜=「火喜」)は抗議します。
心配した王妃(貞熹王后)がセヒを逃がし、逃げた先である青年と恋に落ちました。
その青年こそが、世祖が粛清した宿敵キム・ジョンソの孫だったそうです。
セヒは世祖の召還には応じず、青年キムと山で暮らし続けました。
時は流れ、年老いた世祖が贖罪のためお寺を巡っていたところ、
自分によく似た男の子を見かけて追いかけたことでセヒと涙の再会。
父娘は和解し、セヒと青年は幸せに暮らしたそうです(童話みたいですね)。
ただし、正史である『朝鮮王朝実録』に記載されている世祖の娘は
ドラマでセリョンの妹として登場するセジョンこと懿淑(ウィスク)公主のみ。
ですが世宗(世祖の父)の石碑には「世祖の娘は二人」とされており、
世祖が亡くなったときの石碑では「一人」となっているそうです。
このことについて「王女の男」の監督さんいわく
「普通に考えれば病死ですよね」。(私も同意!)
でも何らかの理由で記録から削除されたのでは?という見方もあるそうで、
『錦渓筆談』のエピソードをうまく絡めて誕生したのがドラマ「王女の男」です。