
※この系図の後の時代の系譜を知りたい方は
「王と妃」の相関図2をご覧ください。
<首陽(スヤン)大君を補佐する側近たち>★ハン・ミョンフェ(韓明澮)/首陽大君の策士世祖いわく「私の張良」。祖父は李氏朝鮮開国時の功臣ハン・サンジル(韓尚質)だが、ハン・ミョンフェ自身は早くに両親を亡くし科挙にも落ち、37歳まで官職につけなかった。月足らずで生まれたため、「七朔童(チルサクドン)」という呼び名がある。友人クォン・ラムを通して首陽大君に近づき、即位に多大な貢献をした最高の策士として知られている。すぐれた企画力で癸酉靖難(ケユジョンナン)を成功に導き、有名な『殺生簿』を作成したのもこの人。絶大な権力を握って領議政までのぼりつめ、娘二人を王室に嫁がせ、長らく朝廷の有力者として君臨する。贅を尽くした別邸「狎鴎亭(アックジョン)」でも有名。王妃ユン氏の廃位に関わったとして燕山君によって死後に罰せられた。「王女の男」では、野心家のダークな首陽大君を支える悪役丸出しな側近として登場。「チャングム」のチェ・パンスル商団の方が演じていたためか、後世に名を轟かせる策略家というより首陽大君の番頭っぽいイメージ強し。
★クォン・ラム(權擥)/集賢殿出身の学者世祖が首陽大君だった時代に集賢殿で共に書物を編纂した縁で親しくなった。首陽大君の屋敷を訪ねては何時間も話し込んでいたため、首陽ファミリーがごはんを食べられず「ハンゲッナン(汁を冷やす人)」と呼ばれていたというエピソードをもつ、ある意味ちょい迷惑なお人。同門で学んだ親友のハン・ミョンフェ(「詩文のクォン・ナム&経論のハン・ミョンフェ」と言われたらしい)を首陽大君に紹介し、即位を助け、晩年には左議政になった。クォン・ナムと表記されることもある。
★シン・スクチュ(申淑舟)/集賢殿出身の学者「王女の男」では腹黒おっさんキャラだが、歴史上では「唐の太宗には魏徴、私には淑舟」と世祖にいわしめたほどのすぐれた学者であり政治家。世宗時代にはハングル創製にも携わった。言語能力も高く、外交官としても活躍し、実は日本に来たこともある。「王と妃」を見ると、シン・スクチュが世祖に気を遣われ、皆からも一目おかれる不可侵な存在だったのがなんとなくわかる。世祖とは首陽大君時代に集賢殿で親交ができたと思われるが、首陽大君が明へ行く際の書状官として同行し寝食を共にしたときに距離を縮めたもよう。都承旨に任じられると端宗の行動を首陽大君に伝えるなどした。世祖時代には領議政まで出世する。国に多大な業績を残したが、前王への忠節を貫いた友人ソン・サンムンらからは批判された。傷みやすいナムルにたとえて「スクチュナムル(変節漢)」という言葉もある。余談だが、韓国wikiを訳すと、定順王后(端宗妃)の身分が落とされて官婢になったときにシン・スクチュが「オレにくれ」と言ったと読めるような読めないような・・・(汗) ※シン・スクチュの来日記は本になっています。詳しくは
こちらの記事(別ブログ)をどうぞ。
★シン・ミョン(申沔)/シン・スクチュの二男「王女の男」では漢城府の判官として登場。キム・スンユやチョン・ジョンと親友だったが、お互いの家門の政治的立場が原因で敵対するようになる。首陽大君に見込まれて娘セリョンとの縁談が整うが、セリョンはスンユと恋に落ちており、ことごとく邪険にされる。実際には都承旨として世祖に仕えており、仲がよかった王族の亀城君らとともに、老いた欲深い功臣たちにうんざりしていた世祖からイキのいい新進勢力として寵愛されていたもよう。イ・シエの乱を収めるために北方へ向かい、矢に射られたというのは史実どおり。
<首陽大君と敵対する人たち>★キム・ジョンソ(金宗端)/朝廷を支配した重臣太宗5年(1405年)に15歳で文科に合格。文臣出身だが北方へ赴任し、女真族問題を担当。六鎮(ユクチン)開拓が評価され、文宗時代には右議政にまでのぼる。文宗から顧命(コミョン)を受け、領議政ファンボ・イン(皇甫仁)らとともに幼い端宗を補佐する中で、絶大な権力を握る。また実質的に兵権を握っており、北方時代に共に任務を果たしたイ・ジンオク(李澄玉)など地方とも兵権ネットワークを築いていた。そのため王座を狙う首陽大君勢力にとってはもっとも目障りな存在となり、癸酉靖難で倒れた。『朝鮮王朝実録』によると、キム・ジョンソたちが朝廷を支配し王権を弱めたのは事実だが、端宗を支えるための一時的なものにすぎず、それ以上の反逆心は見受けられないという。
★キム・スンユ(金承琉)/キム・ジョンソの三男実在した人物だが、結婚もしていたらしく、このドラマのスンユそのものではない。野史ではイ・セリョンの相手はキム・ジョンソの孫ともいわれており、「王女の男」のスンユは、「孫」を「息子」に置きかえて構築されたキャラクター。王族の子供たちの教育機関である宗学(チョンハク)の講師であり、成均館(ソンギュングァン)の官僚で、官職は直講(チクカン)。敬惠公主の講義を担当したときに入れ替わっていたセリョンと知り合い、やがて惹かれ合う仲になるが、父キム・ジョンソが癸酉靖難で倒れ、自身も追われる身となる。やがて父の宿敵がセリョンの父・首陽大君と判明し、セリョンとの悲恋に悩みつつ、首陽大君への復讐に燃える。
★ミン・シン(閔伸)/重臣ドラマにはだいたいキム・ジョンソの子分の兵曹判書として登場することが多い。首陽大君が誥命謝恩使(コミョンサウンサ)として明へ行くときに彼を副使に指名したが、仮病を使って同行を断った。癸酉靖難で標的となって無念の死を遂げる。
★チョ・グックァン(趙克寬)/重臣ほとんど記録が見当たらないが、太宗時代に科挙に受かり、大司憲、兵曹判書、右賛成、吏曹判書などを歴任し、それなりに功績をあげたもよう。癸酉靖難で命を落とす。