亡き母(淑嬪チェ氏)の最期を、英祖が泣きながら思い出しています。
病床の淑嬪は英祖が夫人(今の貞聖王后)を初夜に追い出したことを叱りました。
「手がきれい」とほめて「水仕事をしたことがないから」と答えられた英祖は、
ムスリとしてせっせと働いていた母のことを思ってムカついたそうなのです。
思悼世子(サドセジャ)がお勉強をサボって外出したのを知った英祖がお怒り。
英祖は情緒不安定気味で、世子は詩経の一節にも無感動。歯車がかみ合いません。
和平翁主の散歩道を歩くなという通行禁止令を、英祖が世子と和協翁主に発令。
英祖は三女の和平(ファビン)翁主と幼い和緩(ファワン)翁主がお気に入りで、
七女の和協(ファヒョプ)翁主と思悼世子のことは大キライだったそうです。
(和協をキライな理由は、息子を待ち望んでいたのに和協が生まれたからとか)
和平翁主がとりなしても「二人の顔を見ただけでイライラする」と英祖は拒否。
通行禁止令のことを聞いた大王大妃(仁元王后)に諭されると笑ってごまかしつつ、
世子妃(恵嬪ホン氏)が大王大妃にチクったんじゃ?と疑って急に世子妃殿を訪ね、
彼女が実家に手紙を書いていたと知ると、持ってこさせて中身をチェックしてます。
オレお勉強するぜ!とやる気になった世子に恵嬪は「父上と呼ぶのです」と助言し、
世子は恵嬪に囲碁を教えながら手を握るなど昼間からラブラブモード全開です。
恵嬪が著した有名な回顧録『閑中録(ハンジュンノク)』によると、
この頃の英祖は辛壬士禍の反逆にあったことで精神的に追い込まれていたそうで、
生死に関わる言葉を避け、政務や尋問所に行くと着替えてから宮殿に入ったとか。。
何かあるとご乱心して口と耳を洗った水を世子と和協翁主の宮殿に捨てさせます。
英祖長男の孝章(ヒョジャン)世子の夫人である賢嬪(ヒョンビン)チョ氏が初登場。
4歳年下の嫁ぐも、契りを交わすことなく翌年夫が逝去したという気の毒な方です。
英祖が絹の持込を禁じたので兄が調達してきた絹を処分できないとこぼすハ尚宮。
任せてください♪と女官ムンは胸ポン。老いた尚宮をおだてて売りつけました。
ムンは実は野心家で、「王子を産む!そうすれば世子を降格できる」と実家で豪語。
だからお兄ちゃん協力してよね!と大金(ハ尚宮の絹を売った代金?)を渡します。
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