「国に不幸が起こるかもしれません。息子に命を絶たせるしかありません・・・」。
1762年5月13日、ご先祖様の位牌の前でこう詫びた英祖は、兵士を集めさせると、
昌徳宮の徽寧(フィリョン)殿へ行き、思悼世子(サドセジャ)を呼びました。
ひれ伏す世子を兵士に囲ませて刀を突きつけさせた後で、全官吏が入場。
赤い世子服を脱げと英祖は世子に指示し、白装束にさせ、命を絶て!と命じます。
さすがに官僚が抗議して叫びだすと、英祖は刀を抜いて世子に決断を迫りました。
「お前と私とどちらが死ぬべきだと思う?私が死ねば国が滅びる!早く死ね!」。
刀も賜薬ももらっていない世子は、服を裂いた布を使い自分で首を締めて気絶。
世子を助けた官吏を英祖が追い出させ、世子は頭を地面に打ちつけ、大混乱です。
父上を助けたい!と世孫サン(後の正祖)が母の世子妃(恵嬪ホン氏)に懇願。
徽寧殿へ行くことを母に許してもらった世孫は事件の現場にトコトコと突入し、
お祖父上!どうか助けてください!と英祖のひざにすがって泣きじゃくりました。
さすがの英祖もこれにはちょっとショックを受けたらしく、一旦中断します。
すると訓練隊長ク・ソンボクが英祖にグッドアイデアを提案しちゃいました。
「臣下は世子様を手にかけられません。米びつを利用されてはどうでしょう?」。
こうして英祖が世子を米びつに閉じ込めるという、かの有名な米びつ事件が勃発。
米びつに入れという英祖の命令を嫌がる世子に、ク・ソンボクがささやきました。
「殿下は機嫌が悪いだけ。すぐに出してくれますから今は従ってください」。
その翌日、英祖は米びつの穴を一つ残らず埋めさせて修文(スムン)堂へ移させ、
門を閉鎖して米びつの上に草を敷くという処置を命令。食事も与えさせません。
さらに世子を遊ばせた官吏と追放し、尼と平壌の芸者には死罪を下しました。
世子が好んで居ついていた地下室に置かれていた世子の刀も焼却させます。
世子が廃位され、庶民となった世子妃は、子供とともに実家に戻されることに。
世孫がいつの間にか結婚していて妃(後の孝懿王后)を迎えていますね!
ホン・ボンハンは宮殿で英祖から預かった伝言を娘の世子妃に伝えました。
「世孫をそなたにまかせる。そなたを信じているぞ。世孫を頼んだぞ・・・」。
父上を救ってくれとそのとき頼みましたか?と世孫が祖父にするどく質問。
申し訳ありません・・・と謝るだけの祖父に世孫は怒って退室して泣きます。
米びつの中の世子は、喉のかわきに苦しみつづけ、自分の尿で喉をうるおすほど。
ですが米びつは厳重な警備が配置され、世子の側近は近づくことができません。
絶望した東宮殿のチェ尚宮は、遠くから世子に詫びながら首を吊るのでした・・・。
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