王に呼び出されても陜川(ハプチョン)にこもったままで宮殿に来なかった
山林の丞相チョン・インホン(イノン)が80歳の老体に鞭打って上京しました。
6年ぶりだ♪そなたの意向に従う♪と老左議政との再会を喜んでいる光海君に、
「謀反者を厳しく罰してください。小さな魚ではなく大きな魚を捕えるべし!」。
大きな魚とは、配流や幽閉中のイ・ウォンイクと綾昌君と大妃(仁穆王后)。
ヒョウ革製のお帽子を下賜されたらしいチョン・インホンは重臣たちも叱咤し、
厳罰を下したいと考えているイ・イチョムは嬉々として返事をするのでした。
都城に出入り禁止のチェ・ミョンギル(遅川)が山寺のトッポ僧侶を訪ねました。
(おっさんの入浴シーンが拝めます。臀部まるだし!全然見たくありません!)
全国を放浪している僧侶は、南霊草をくわえながら色んな話をしてくれます。
(南霊草=たばこ。この頃、倭人が頻繁に往来しており、東莱から流行ったとか)
後金を建国した女真のヌルハチやその息子ホンタイジのことも話題に挙げ、
後金を制する力を育てなければ踏み潰されてしまうと持論を展開しました。
「せっかくワシが上京して意見してやったのに王が従わないから帰るべ!」。
9月11日、左議政チョン・インホンが陜川へ帰郷。滞在は2週間足らずでした。
この頃、三昌と呼ばれた外戚軍団は分裂しているとウワサされていました。
イ・イチョム(とチョン・インホン)たちを小北(ソブク)派と呼び、
ユ・ヒブンやパク・スンジョンを大北(テブク)派と呼んでいたそうです。
イ・イチョムはパク・スンジョンの息子ジャフンを通じて会合を申し入れた矢先、
イ・イチョムを弾劾する上書を成均館ユン・ソンド(孤山/コサン)が提出。
江華島では、石灰水で炊いたご飯を食べさせられていた綾昌君が逝去しました。
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