宣祖と大妃(仁穆王后)の永昌大君は6歳、光海君と王妃ユ氏の元子ジは10歳。
宮殿にはこの二人の幼い王子がおり、王妃はわが子の世子冊封を急いでいますが、
まだ光海君もちゃんと認められていないのに時期尚早ですと大妃に諌められます。
余計なこと言って恥かいちゃったわ!と大妃殿から出てきてプンプン憤る王妃を、
意向を伝えることが大切だからそれでよいのですとキム・ゲシ尚宮がほめてます。
世子の冊封を持ち出すなんて賢い女性だ♪とイ・イチョムやユ・ヒブンは大笑い。
ここでイ・イチョムが太宗の話をしますが、これは地味な遊び心だと思います♪
(この俳優さんは同じ朝鮮王朝500年シリーズで太宗役を務めているのです)
もう光海君の“聖恩”を受けているキム尚宮は「側室になれ♪」と言われるも
「子供を生んで側室になるよりも尚宮として王様の役に立ちたい」と答えました。
光海君がキム尚宮にホレたのはやはり血を拭いてくれた
あのときのようです♪
そんな折、明の差官(チャグァン)が臨海君に事情を聞きにやってくると判明。
臨海君が中風のため玉座を辞退して弟に譲ったという真偽を確認するためでした。
一旦辞表を出した領議政イ・ウォンイクが左議政イ・ハンボクと対策を練ります。
皆が光海君を王だと認めているという署名を集めましょう!ということになり、
大妃は再び奏本を作成して署名。官僚や民からもたくさんの署名を集めました。
「事大慕華」な朝鮮ですが、王の人選への干渉は耐え難い屈辱だったとか。
今回は光海君を挑発する臨海君(声はエコー)がチャチい演出で2度も現れます。
珍しいですね、カン・ホンリプが王前会議にいておもむろに発言しています。
「臨海君は謀反を起こしたから面会できないと接伴使に伝えましょう・・・」。
もしくは差官を臨海君に会わせれば何と説明するか保証はないわけなので、
カネにものいわせましょう♪とキム尚宮が差官の買収を王妃に提案します。
しかし王妃はビンボーらしく「そんな資金はないわ」「じゃあ毒ですね♪」。
ってことで、イ・イチョムが臨海君の死を求める上書を提出しました。
明から差官が来るこのタイミングで勝手に出すなよ!とユ・ヒブンが責めると、
どうせ処分はされない!明に知らしめたいから今出したのだ!と言われます。
イ・イチョムの作戦に納得したユ・ヒブンはじゃんじゃか上書を出させました。
光海君元年(1609年)6月15日、明から二人の差官がやって来ました。
なんで臨海君を呼んでないの?王は挨拶にこないの?と文句をたれる差官に、
喪服を着ている者は客をもてなせないし罪人は都城に入れないと大臣が回答。
やがて光海君が登場し「心ゆくまで臨海君を調べなさい」と寛容に対応します。
差官が宿泊する南別宮の周囲では、明に憤慨する志ある若者が決起していました。
自在州知府(チャジェチュジプ)のマン・エミンという名前だそうです。
★署名した人々の内訳も詳細にナレーションしてくれました。
官僚関係だと、文官はユングンスを筆頭に395人、
武官はイ・シオンら456人、散班はイ・ソンロクら1200人、
禁軍・内禁衛はチョン・ゲオクら326人、兼司僕はコ・ウンロクら4300人
民も署名してくれ、東部軍民はパク・マンドンら2200人、
西部軍民はイム・ドクスンら3500人、南部軍民はイ・ボら4113人、
北部軍民はホ・オクシンら1110人
成均館と生員はシン・ドクヨンなど980人、王室でも定遠君を筆頭に225人