第7話 逃避行
文宗の崩御から4日後の1452年5月18日、端宗の即位式が行われました。
国政の実権はキム・ジョンソが握り、首陽(スヤン)大君は危うい立場に。
同年9月,生き残るための苦肉の策として謝恩使(サウンサ)になり明へ発ちます。
右議政キム・ジョンソの息子と領議政ファンボ・インの息子を同行させ(人質)、
福使としてキム・ジョンソ側近ミン・シンも随行(断っていないんですね)。
緻密な計算のもと、集賢殿の長であるシン・スクチュも加えていました。
キム・ジョンソの後ろ盾で安平(アンピョン)大君が人を集めているというのに、
収入源だった陳情が禁止されたので贈り物が途絶えてスヤン側の財政は困窮。
それを知ったジョンは実家から金目のものを持ち出してきた姑ユン氏に渡します。
ユン氏はヨメに感謝しつつ、資金として全額をクォン・ラムに届けるのでした。
義父スヤン大君が王になるべし!と言って憚らないジョンが、義父の無事を祈願。
王になれば民のためにもなるのだと説くと桃源(トウォン)君に抱きしめられ、
やっとこさ一人寝を脱出。君主のあとを継ぐ息子がほしい♪とおねだりしてます。
カカシと噂される端宗が「帰国するスヤン大君を平壌に迎えに行きたい」と主張。
領議政と右議政が大反対し、内官を義州に送り、右議政が平壌に行くことになり、
黄金千両でスヤンを明国に留め置く約束だったのに!と領議政が怒っています。
このことを憤慨する端宗に「過度の冷遇は禁物です」とジョンが上手に答えるも、
やるかやられるかという妻の残酷な考えを知るトウォン君はついていけず無言。
殿下だって領議政と右議政を試したのよ!とジョンが王の純真さを否定します。
有望な人材として、クォン・ラムが同門の友人ハン・ミョンフェの名を挙げます。
何度も科挙に落ちた彼は、今は敬徳宮の宮直をしており、生活は貧窮中でした。
実は彼を最初にスカウトしに行ったのは、アンピョン大君の策士イ・ヒョルロ。
ですが、引き合わされたアンピョン大君とウマが合わず、物別れに終わります。
先王の祭壇で泣く端宗のようすを、見習い宮女ソンイが物陰から覗いています。
内官オム・ジャチが叱り、チェ尚宮に抗議した後で、度胸のあるソンイをほめ、
「スヤン夫人に贈り物を届けて、ついでにスヤン家のようすを探ってきてくれ」。
(後でチェ尚宮にプチダミ声で泣いて謝るソンイがとても可愛いかったです♪)
義州でスヤン大君を迎えたオム・ジャチは、右議政の専横ぶりをチクりました。
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