第6話 文宗の死
「殿下は危篤ではありませんし、もし危篤なら大君は謹慎すべきでは?」。
首陽(スヤン)大君をけんもほろろな対応で拒んだオム・ジャチ内官は、
文宗の臨終に世子を会わせてあげたいという恵嬪ヤン氏の考えも否定しました。
なぜなら「スヤン大君に頼れ」と文宗が世子に遺言しちゃったら困るからで、
右議政キム・ジョンソに大君二人を討たせて罪を着せればいいと恵嬪に話します。
一人で宮殿に行った夫が心配なユン氏が桃源(トウォン)君も行かせたがると、
譲寧(ヤンニョン)大君に王族を従わせて参殿させましょう♪とジョンが提案。
ヤンニョン大君率いる王族軍団が乗り込むとようやく寝殿の扉が開きましたが、
オム・ジャチは領議政ファンボ・インと右議政キム・ジョンソを入室させており、
文宗は意識不明なのに「遺言聞きましたよね?ね?」と恵嬪が同意させます。
兵曹判書ミン・シンとキム・ジョンソ息子スンギュは王族の屋敷に兵を配置。
ジョンは酒や肉をふるまって兵をもてなします(「王と妃」と同じエピですね)。
文宗2年5月14日、夜が明け、王族たちがぼちぼち帰宅し始めました。
世子を守るように王に言われましたとキム・ジョンソはスヤン大君を牽制し、
王族に指名権を奪われないために匿っているのですと世子には説明します。
トウォン君はオム・ジャチに妨害されつつもなんとか世子に面会を果たし、
父を殺さないでください!と頭を下げて頼んで世子をびっくりさせました。
そこへ、文宗が崩御したというしらせが入り、世子が父王に会いに急ぎます。
『朝鮮王朝実録』によると、文宗は夕刻に亡くなり、39年の生涯を閉じました。
一男二女をもうけ、一人息子の世子(後の端宗)は、このときまだ12歳。
誰もが国の将来を憂い、人々の悲しみは世宗が崩御したときより深かったとか。
非常時なので宮女が一室に集められていましたが、嘘をついて抜け出したソンイ。
康寧殿をぼーっと眺め、輿に乗って急ぐ世子をうっとりと見つめるのでした。
スヤン大君が生き残るために話し合うハン・ファク(ジョン父)とクォン・ラム。
王の交代を報告する明国への使臣を引き受けろとハン・ファクがすすめます。
兄の死を悼んで哭泣するスヤン大君を、オム・ジャチが疑いのまなざしで見つめ、
私を守ってください!キム・ジョンソが怖いです!と世子はすがるのでした。
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