長らく「チャン・ヒビン」の人物相関図で代用しており、申し訳ありませんでした。
このたびドラマ「イサン(正祖)」用に作成しなおしましたのでアップします。
今回は以前の王から正祖に至るまでの系譜です。
世継ぎに直接関係しない人たちや女の子(公主・翁主)は省いています。
王位の流れを把握するものとしてご覧いただければと思います。
なお黄色い部分で各人を支える勢力を示していますが
多くの人を同じ時系列で語るのは無理があるため
勢力の名前や分類に若干のズレがあるかもしれません。
大まかなご参考ということで捉えてください。
英祖と正祖まわりをもう少し詳しくしてその後の系譜を示す
側室・庶子ガチャガチャ系の人物相関図はこちらにあります。
粛宗李氏朝鮮19代国王。西人派と南人派の政権争いを上手に利用しながら
3度も換局(政権を変えること)しつつ政治を行いました。
それに伴い仁顕王后閔氏をを廃妃し、側室・禧嬪張氏(チャン・ヒビン)を王妃に。
しかしその後チャン・ヒビンを降格して仁顕王后閔氏を再び王妃にという
なんともまあ大胆な(ハチャメチャな?)後宮運営をなさったお方です。
子供は少なく、チャン・ヒビンが側室時代に生んだ景宗を
早い時期から世子に冊封しました。
景宗李氏朝鮮20代国王。チャン・ヒビンの息子です。
一説にはドタバタ揉めているときに母から急所を掴まれたせいで
子供ができない身体になったとか言われています。
また母が悲惨な末路をたどったせいで父・粛宗からかわいがられず
精神状態もあまりよくなかったとか。
王族から養子を迎えて世継ぎを画策するも間に合わず、
わずか在位4年、36歳の若さで崩御してしまいます。
英祖李氏朝鮮21代国王。下女から側室となった淑嬪チェ氏の息子。
前の王・景宗の異母弟にあたります。
景宗が病弱で子供もできなかったことから
粛宗の生存中に世弟・延礽君(ヨニングン)に封じられます。
この時代は激しい党争が繰り広げられていた時代で、
英祖もこの党争やら謀反やらに巻き込まれて(しかも「下女の子」と虐げられ)
命の危険を感じる日々を送っていたようです。
ざっくりいうとチャン・ヒビンは南人派、チェ氏や粛宗妃は西人派。
西人派の中でもチャン・ヒビン粛清に積極的だったのが老論(ノロン)派、
平穏第一!極刑はよくない!という主張だったのが少論(ソロン)派です。
ところがチャン・ヒビンの息子・景宗が崩御すると南人派は没し、
今度は西人派内の老論派と少論派が激突します。
打倒!チャンヒビン(&景宗)だった老論派は、
景宗の子が王位を継ぐと自分たちが逆襲されるので
チェ氏の息子である英祖を強力に擁護します。
なので英祖=老論派、それに反感を感じた荘献世子=少論派です。
ドラマ「イサン(正祖)」では英祖の大変だった(であろう)若き時代は出ず
すでに安定した王座についている姿しか出てきません。
そんな英祖がとった政策については
この記事にまとめました。
荘献世子(思悼世子=サドセジャ)実は英祖にはこのサドセジャの他にも世子がいましたが夭折しています。
サドセジャは英祖が40歳を過ぎてからできた子なので
すでに一歳のときに世子に封じられたそうです。
とても賢く読書好きだったそうですが、老論派と貞純王后に陥れられ、
だんだんと英祖との仲が悪化し、躁鬱病のような状態になったとか。
英祖の許可なく勝手に遠方に出かけたりすることもあり、
そんなこんなでドラマ初回の「米びつ事件」へとつながり、命を落とします。
正祖李氏朝鮮22代国王。亡くなった荘献世子の息子です。母は恵嬪(ヘビン)。
実は正祖には夭折したお兄さん(懿昭世孫)がいまして、正祖は二男です。
英祖の王子はすべて亡くなっていたので
世孫(セソン=王の孫)として世継ぎを約束された正祖でしたが、
父・荘献世子を死に追いやった老論派とその流れを汲む僻派によって
たびたび命の危険にさらされていたそうです。ドラマのとおりですね。
映嬪、この方、名前が珍しいなあーといつも思ってます^^
ほかの嬪は「仁」「恭」「淑」「煕」「禧」とか、いかにも嬪
っぽいのに、「映」ってどういう意味なんだろう・・・ときに
なります。
以前お伝えした「大王世宗」と「大王の道」どっちがいいか、
というお話ですが、やっぱり微妙かも。。。
私が世宗ものに飽きていたのもあるし(何度も別作品でみ
たし主役じゃなくても目立つし)、と。
大王の道はサドセジャが主人公なので、ひたすら祖父から
いじめられ、兄は死に、米びつであれして終わりなのですん
ごい読後感が悪いですがそれでもOKなら!チャングムの
中宗がサドセジャやってますし(?)。
イ・サンでも活躍する貞純王后が憎たらしいです(笑)。あと。
私は「女人天下」見たら「龍の涙」か「善徳女王」かで迷って
ます!問題は「善徳」は新羅時代なので衣装が好みじゃない
んですよね。そこが・・