韓国ドラマ「女人天下」の(一応)主役ナンジョンの実父という設定のパルングン。
「女人天下」では早くに妻に先立たれたという設定で、
再び生きる喜びをくれた妓生ケヒャンを寵愛していましたが、
身の危険を感じてケヒャンを逃がし、彼女が産み落とした女児がナンジョンです。
私はなんとなく、パルングンの子供がナンジョンというのは脚色でも、
パルングンという存在自体は歴史のどこかにあったのではと想像しています。
(功臣たちから流刑されたりとエピソードが現実的な気がしたので)
今回はこのパルングンについていまとめてみました。
※『朝鮮王朝実録』で調べ直したり、コメントで情報をいただいたりもしたので、
初めてこの記事をアップしたときから新たな情報を盛り込んで加筆しています。
★実在?フィクション?
実在しています。(教えていただきましてありがとうございました)
歴史上に、巴陵君という名前の宗親はたしかに存在するようです。
太宗(李氏朝鮮の第3代国王)の玄孫(ひ孫の一代先)にあたる人で、
詳しくいうと太宗→敬寧君→福城正→金陵副守→巴陵君です。
敬寧君といえば「大王世宗」に出てくる側室・孝嬪の息子です。
そうか~あの人の血を引くお方だったのですね。
★正しい名前
ネット配信ドラマの字幕では「巴陵君」と出てきました。
紹介文で「坡陵君」と書いているサイト(showtimeなど)もありましたが。
私が調べたかぎりではおそらく別の方だと思われます。
坡陵君というのは尹甫(ユン・イムの祖父)という人のことで、
読み方が同じ「パルングン」なので紹介文にて混同されたのかもしれません。
「女人天下」に出てくる宗親のほうの巴陵君の本名は李璥(イ・ギョン)です。
★概略
1519年(中宗14年)の12月にチョ・グァンジョが粛清されました。(己卯士禍)
それに先立ち11月16日、パルングンが彼の投獄に抗議した記録があります。
「女人天下」のように宗親をまとめあげたりしたのも事実のようです。
チョ・グァンジョが賜死された数日後にはパルングンに流刑の命令が下りました。
ただし「女人天下」と大きく違う点もありますね。
パルングンは1534年(中宗29年)に配流先の海南で亡くなりました。
「女人天下」では中宗の死後にも登場して文定王后にケンカを売ってましたが
実際にはもうこのときには存命ではなかったということになります。
赦免されないまま地方で亡くなったので、士林たちに惜しまれたそうですよ。
何度も中宗に呼び戻されて涙で頼られたというのは創作が入っているかもですが、
チョ・グァンジョの擁護や、宗親や士林に影響力があったのは本当でしょうね。
己卯士禍で亡くなった「己卯名賢」のうち10人ほどが後に名誉回復された際、
パルングンも一緒に復権を果たしました。1746年(英祖22年)のことでした。
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この方、「実録」にも出てこないんですよね。
もしかしてフィクションかなーと思っていたんですが、
王の孫とかになると探すの大変ですよね。しかし
別名(?)もあるとは・・初耳です。
しかし実はナンジョン、生まれながらのセレブだったの
ですね(笑)。妓生と王族との子の処遇がどうなるかは
知りませんが、少なくとも庶民とは血筋が違うよって
感じ?
あれがお嬢様だったら相当イヤですけど(怖すぎる)。
しかし「女人天下」見てると書肆差別がすごくってびび
ります。ナンジョンも中国清朝に生まれていたらもしか
してそこまで虐げられなかったのかも、なんて。
引き続き私もウォッチしたいです♪