中宗を王位につけた反正功臣たちは、すぐさま王妃シン氏の追放を求めました。
なぜなら彼らは反正にあたり王妃の父シン・スグンを始末しており、
国母となり権力を握った王妃に報復されるのを恐れたからです。
糟糠の妻を追い出すことはできない!と中宗は反対したそうですが、
王になったばかりの中宗は自分を王にしてくれた功臣たちに勝てませんでした。
1506年、反正功臣たちが半ば脅すような形で中宗に迫った結果、
端敬王后愼氏は河城尉・鄭顕祖(多分チョン・インジ息子のチョン・ヒョンジョ)
という人の家に追い出され、その後本家のほうへと戻って行きました。
しかし、“もともと愛情がことの他深い夫婦だった”中宗とシン氏。
別れてからも明の使臣に迎えにいくときは必ずシン氏の家の近くに宿をとり、
乗ってきた馬をシン氏宅へやり、シン氏はその馬に白米の粥を炊いて食べさせ、
中宗のもとへその馬を送り返したそうです(・・・涙)
二人の愛情を伝える逸話として有名なのが
「チマ岩の伝説」です。(
「伝説ですから」と一蹴された経験あり)
中宗はシン氏に会いたくなると高い楼閣に上って彼女の実家のほうを眺めたので、
シン家の人たちは彼女が宮中でよく着ていた薄紅のチマを岩に広げたそうです。