功臣たちの強い要請によってシン氏が王妃の座から下ろされた後、
中宗は二番目の王妃として章敬王后尹氏を迎えます。
章敬王后は1515年に元子(後の仁宗)を産むも、その数日後に逝去。
すると次の王妃選びをめぐって、シン氏の復位騒動が起こりました。
まず、このとき王妃の座を虎視眈々と狙っていたのは、われらが敬嬪♪
中宗の寵愛をひとりじめにしていましたし、長男・福城君も生まれていました。
しかし、長男を産んだ側室が王妃になれば、世継ぎ争い勃発は目に見えています。
それを憂慮した金浄(キム・ジョン)と朴祥(パク・サン)が提案したのが復位。
もともと無理やり王妃の座を追われたに等しいシン氏を復位ささせつつ
後宮を王妃にするのも食い止められるというわりとまっとうな論に見えますが、
大司諌・李荇(イ・ヘン)と大司憲・権敏手(クォン某)の考えは違いました。
もしシン氏が復位して王子を産んだ日にはまた争いが起こる~!というわけです。
(結局どう転んでも世継ぎ争いは避けられなさそうですね・・・)
しかし中宗はキム・ジョンとパク・サンを流刑して復位問題に決着をつけました。
お前ら!復位を主張するならなんで俺が泣いてたあの日に言わない?!
三人の功臣が死んでから言うなんてムシがよすぎるし人騒がせ!(超勝手訳)
というのが二人への中宗のお言葉でした。
この復位事件は
「女人天下」あらすじ第9話でちょこっと出てきます。
また己卯士禍(キミョサファ)の発端はこの復位事件(
関連記事)でした。
(
復位賛成派のチョ・グァンジョが、じゃあイとクォンも追放してよ!と言い、
キム・アンロが両是論を唱え、
その後チョがキムとパクの赦免を主張し、士林派と功臣派が争う政局大混乱時代へ突入)
このときシン氏はどういう思いでいたのかと思いを馳せてしまいます。