結局、シン氏の復位は生前に叶うことはありませんでした。
けれども『中宗実録』には中宗が息を引き取る直前に
シン氏が宮中に呼ばれたという噂があると書かれているそうです。
噂だけじゃなくて実際に会っていてほしいですね・・・。
子供もいなかった彼女は生涯を一人でさびしく送り、
1557年(明宗12年)に70歳で亡くなりました。
するとそのとき在位していた明宗(文定王后息子)は
シン氏の家を廃妃宮に昇格させて使用人と田畑を与えたそうです。
「宮」という称号がつけば奴婢・田畑・俸禄がもらえたため、
明宗は父・中宗が愛した糟糠の妻に敬意を表したといえます。
せめて生前にその扱いが実現していれば・・・とも思いますが
難しかったのでしょうね。また朝廷が揉めるかもしれませんし!
シン氏の復位問題は、顕宗時代にも粛宗時代にも取り上げられますが、
残念ながらいずれの時代にも実現しなかったようです。
やっと認められたのは、死後180年を経た1739年、英祖時代のことでした。
儒生・金泰南(または金台南=キム・テナム)の上疏で復位され、
端敬王后の諡号を贈られ追尊されます(おそらく両親もあわせて追尊)。
陵は温陵で、京畿道楊州市長興面にあるそうです。
韓国時代劇を見ているといろんな王妃が出てきますが、
端敬王后慎氏は愛されていたところを引き離されたままなので
いっそう物語性を感じるのでしょうね・・・


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