高き理想を掲げた趙光祖(チョ・グァンジョ、チョ・ガンジョ)でしたが
現実には軋轢を生み、功臣派からは敵視され、中宗も嫌気がさしてきました。
こんなときに起こされたのが、「走肖為王」事件です。
ある日、宮中で「走肖為王」とくりぬかれた葉が見つかりました。
「走」+「肖」=「趙」(=チョ・グァンジョの「チョ」)なので、
すなわち「趙為王」は「趙が王になる」という意味を表しています。
「女人天下」では実行犯はヒ嬪という設定でしたが、
「実録」では「勲旧勢力が敬嬪朴氏などの後宮を利用して」とあります。
功臣派と後宮が一丸となって起こしたとみたほうがよいのでしょうね。
もちろんこの葉を見た中宗はいい気分はしません。
そこですばやく中宗を訪ねてチョを弾劾したのは
チョに追いやられて落ち目だった南陽君(ホン・ギョンジュ=ヒ嬪父)や
ナム・ゴン、華川君(シム・ジョン)らでした。
彼らの訴えを認めた中宗は、チョら士林派一派を投獄。
処刑を望む功臣派に、アン・ダンやイ・ジャンゴン、千人以上の儒生が反対します。
しかし功臣派が要職を握ると、綾州(ヌンジュ)に流されていたチェは賜死されます。
「女人天下」では、ヌンジュの地で中宗を思いながら過ごすチョのもとへ、
革靴屋おじさんやキルサンが最期の別れを言いにやってきましたね。
こうしてチェのほかにも多くの士林派が粛清されたこの出来事は、
己卯士禍(キミョサファ)と呼ばれています。
この士禍の発端は、廃妃シン氏の復位問題だそう。(チョは復位を主張)
その後チョらの“卑しい輩め、フンッ”という態度が周囲との溝を深め、
偽勲削除が決定的な引き金になったという流れのようです。
「実録」では、中宗と功臣派が共同謀議した親衛クーデター的性格も強いとあります。
意外なのは、チョ・グァンジョが政治の表舞台にいたのはたったの四年間ということ。
この短い間に、功臣派の立場を脅かす大がかりな改革を行ったのですね。
チョは後世、仁宗(「女人天下」の元子)から文正という謚号をもらい、
昌嬪の孫である宣祖が王になると領議政を贈職されました。
今は京畿道の龍仁市というところに眠っているそうです。
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