*韓国ドラマあらすじ部*

韓流時代劇(韓国歴史ドラマ)の最終回までの全話あらすじストーリー(ネタバレ)&感想レビュー&人物相関図など。女人天下、同伊(トンイ)、王女の男、チャンヒビン、馬医、王と私、王の女、正祖イサン、大王世宗(テワンセジョン)、太陽を抱く月、キムマンドク、インス大妃etc

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<悲劇の王妃・廃妃慎(シン)氏について その1 左議政の娘>

燕山君が中宗反正により王位を追われて中宗が王になった7日後、
今度は王妃になったばかりの端敬王后慎氏が王妃の座から下ろされます。
燕山君の治世の中で息を潜めながら夫婦二人で肩を寄せて暮らしていたのに
夫が王座についたがために別れ別れになる運命になってしまったのです。
「女人天下」では、タンチュ僧侶の山寺で中宗の繁栄を祈っており、
子供も後ろ盾もいない王妃の象徴として描かれていましたね。
今回はそんなシン妃の生涯を追ってみたいと思います。

端敬王后慎氏は1487年生まれ。本貫は居昌。
中国ウィキによると母方の祖母は世宗の息子・臨灜大君李璆の娘のようです。
父・益昌府院君・慎守勤(シン・スグン)は中宗の前王・燕山君の重臣(左議政)。
祖父の慎承善(シン・スンソン)は領議政を務めた人物でもありました。
シン・スグンの妹は燕山君の妃でしたから、
シン氏が1499年に12歳で1歳年下の晋城大君(後の中宗)と結婚すると、
叔母と姪が連続して二代の王の王妃となったことになります。
哀しいことに二人ともその座を追われてしまうわけですが・・・。

またシン・スグンは任士洪(イム・サホン)=豊川尉と組んで
燕山君の生母ユン氏がインス大妃らに陥れられた経緯を暴いた人でもあります。
(シン・スグンを奸臣として描いていないドラマもありますが、
燕山君の義兄として他の兄弟とともに権力を握っていたのは事実でしょう)
おそらくシン妃は、反正までは“今をときめく家門”だったはずです。

ちなみにシン・スグンは「女人天下」第1話「王と私」第62話第63話などに登場。
豊川尉についての記事はこちらにあります
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<悲劇の王妃・廃妃慎(シン)氏について その2 反正前夜>  | HOME | <かわいそう(涙)な扱いの仁宗>



チマ伝説は実際にその岩があります!
そしてその伝説は私が韓国で学んだ限りでは本当だと思います。
色々な韓国の書籍を読んでもその記述が明確に記載されてますから。

廃妃になってもかなり代々の廃妃の中では扱いが良かった方です!
温稜としてお墓もありますし、端宗の廃妃もそうですが・・・
ただ廃妃でも廃妃尹氏の場合は何とかお墓がある程度。
でも今は某大学の私有地の中にあるんですよ、非公開だし。
[ 2010/05/06 01:46 ] [ 編集 ]
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