「女人天下」がきっかけであらすじ書きを始めて以来、
現在テレビで放映されているせいもあってか
今も「女人天下」へのコメントを多くいただいています。
ありがとうございます。
ということで、久しぶりに「女人天下」周辺ネタを記事にしてみました。
仁宗の母は、中宗の二番目の王妃である章敬王后尹氏。
「女人天下」では最初のころに亡くなってしまう王妃で、
判府事大監(ユン・イム)の妹ですね。
仁宗は親孝行者として知られる人で、兄弟愛もあつく、
姉の孝恵公主が亡くなったときは悲しみのあまり病床に伏し、
中宗が病になるとみずから毒見をし昼夜を問わず付き添い、祈り続け、
崩御すると断食し五ヶ月間泣き続けたそうです。
また、勉学を好み、三歳で文字を読み、七歳で成均館に入り、
着飾った女官は追い出して禁欲生活を送るなど、
本当にいい子ちゃんな王様だったようです。
ところが、継母となる文定王后(ナンジョンがつきまとっている王妃)は
キッツ~イ性格でした。(もっとひどい表現が資料には書かれています)
仁宗は自分を仇のような態度で接してくる継母にも尽くし続け、
それでも文定王后は「自分と慶源大君(後の明宗)をいつ殺すのか」と
聞いたりしたそうです(ドラマにも同じエピソードがありましたね)。
そして世子時代から文定王后の小尹(ユン)派に命を狙われており、
東宮殿が火事になったのも文定王后の仕業だといわれています。
ウォンヒョン(ナンジョン夫)は命を縮めるために祈祷をし、
さまざまな魔術や呪術を使ったと伝えられているとか。
その甲斐あってかどうかはわかりませんが
仁宗は王位について8ヵ月後に31歳という若さで亡くなってしまいます。
(一説には文定王后による毒殺ともいわれているそうですが)
仁聖王后朴氏との間にあいにく子供はいませんでした。
このように苦労が多くお気の毒な仁宗は、亡くなってからもお可哀想なのです。
まず、イ・ギ(終盤でウォンヒョンの取り巻きとして登場した人)が、
王位に一年もついていなかったから葬儀は略葬でいいじゃん!と言い始め、
もちろん文定王后も小尹(ユン)派もさんせ~い。
お墓も国王待遇されず、位牌を奉られる場所も違いました。
「女人天下」の福々しい子役の元子と
成人してからのチョン・テウさんの姿が浮かぶと
なんだか可哀想さが増してきてしまいます・・・。
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でもこれって儒教精神から見た目でのことなわけですよね。
だからもしかして「チャングムの誓い」のように、
違う視点から見たらもしかしたらもう少しいい人だったのかな…なんて…。
「女人天下」でも仁宗が子供の頃に
「なぜ親子の仲を切り裂かれるのか…」みたいなこと言って悲しんでたシーンがありましたし、
きっとあの王后もあのドラマのように最初のうちは真っ直ぐな性格だったのかもしれないとか思うと、
やっぱり宮廷という場所、周りの人々、政治というのが人を変えてしまうのが、
何だか悲しくなってきます(T_T)
違う視点で見てる「チャングム」でも世子を殺してほしいと頼むシーンで
「いけないことだとわかっててもそうするしかないんだ」みたいなこと言ってたシーンもありましたしね…。
私にとっても文定王后=悪い人というイメージが強いですが
実は可愛そうな人でもあるんだなと「女人天下」と「チャングム」両方の視点から感じます。