対馬を支援する勢力が増えるのを避けたい世宗は九州や京都に密使を派遣しつつ、
九州の源道鎮の策士である正祐(僧侶)を呼びよせてサシで話すことにしました。
僧侶をもてなすなら経典が一番でしょと海印寺(ヘインサ)に用意を命じる世宗に
“文句言い”の礼曹参判ホ・ジョがすかさず反対しているのがおもしろいです。
かつて“屁理屈言い”だった右副代言イ・スは最近は“微笑むだけの人”ですね。
軍不在(安全面)を理由に、兵曹判書チョ・マルセンが戦勝祈願祭の中止を進言。
敬寧君たちも「昭格署でおこなってはいかがでしょう?」と提案しましたが、
兵のために祈願して民にしらせるのはとーぜんの義務です!と世宗は敢行を主張。
上王・太宗さまも民に対するイメージ戦略の大切さを説いて同意してくれます。
康寧浦で上王と世宗の暗殺を企てている対馬軍は、白島から潜入していました。
しかしピョン・マンゴは味方であるはずの対馬軍にいきなり刀を向けます。
そこへ父ピョン・ドジョンと、中軍都総制チェ・ユンドクひきいる朝鮮軍が到着。
父の命が宗俊に狙われていると知ったマンゴが朝鮮へと知らせていたのです。
父と息子が心を通い合わせたのも束の間、マンゴが父をかばって斬られました。
「日本と朝鮮のどちらでも裏切り者だった。父さんがおれのふるさと・・・」。
マンゴは朝鮮語で話して息絶え、こうして5月26日、白島で敵船2隻が壊滅します。
6月10日、ユン・フェの罠により、倭館あたりは対馬軍上陸成功の噂で持ちきり。
朝鮮劣勢の噂を聞き、軍船がいないのも確認した対馬勢は安心して引き返します。
このとき朝鮮水軍はひそかに見乃梁(キョンネリャン)に集まっていたのですが
安心しちゃった対馬島主・宗貞盛は倭寇仲間を招いてパーティーを開催します。
朝鮮征伐軍が対馬に攻撃を開始したのは、このような状況下の6月20日でした。
対馬軍は突然の襲来に慌てつつもすぐに応戦体勢に入りなかなか手ごわいようす。
三軍都体察使イ・ジョンムと三軍都統使ユ・ジョンヒョンは焦りを隠せません。
景福宮では正祐と世宗が会見をしますが、せっかく用意した経典の効果はナシ。
攻撃は九州ではなく幕府の意思しだいですと正祐が答えをごまかしました。
我々の情報網をばかにするな!倭寇などいつでも消せる!とホ・ジョが吠え、
使臣から違う報告が来たら九州を攻めざるを得ないと世宗は微笑んで脅します。
倭国が朝鮮王にたてついただと?と明のファン・オム(実は朝鮮人)は怒り、
朝鮮に援軍を送ろうとして「何か弱みでも?」とヘ・スに怪しまれちゃいました。
イ・チョンたちは捕虜救出のため尾崎浦(=豆知浦)から対馬に上陸します。
敵の死者をわずか130人に抑えた人道的な戦いだったとナレーションが絶賛中!
この数話は音楽も雰囲気もいつもの「大王世宗」と趣がまったく違いますよ~。
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