“ダニのために家を燃やすのが得意(ユン・フェ弁)”なコワーイ上王・太宗は、
間者がいる!東菜(トンネ)の倭館を焼き尽くせ!と案の定な恐ろしいご命令。
罪なき民は斬れません!とチェ・ユンドク、チェ・ヘサン、イ・チョンは拒み、
民の命は守ります!敵に朝鮮の寛大さをみせて情報収集を!と世宗も訴えます。
驚くことに知申事チョ・マルセンも「今回は折れるべきです」と上王を説得。
そこで上王は軍の内部を把握させるためにマルセンを兵曹判書に命じました。
早速マルセンはイ・ジョンム(久しぶり!)らベテラン武官を集めて会合を開催。
まーた上王が何か企んでいるのでは?と同副代言ユン・フェが疑いまくります。
火薬に詳しい翰林学士ヨ・ジンが対馬に拘束されているので救出せねば!と
明の勅使ファン・オムがホ・ジョとピョン・ゲリャンに情報収集を命じます。
ピョン・マンゴ(平望石)は対馬側からスパイを疑われるも宗俊(策士)に救われ
どちらの国からも裏切り者と疑われる自分の悲しい運命をかみしめていました。
一方、もと倭の間者ピョン・ドジョン(平道全)は、息子マンゴの罪を告発。
その忠誠心を世宗は褒め、息子の救命と引き換えに対馬側との交渉を求めました。
ドジョンは倭と通じている山田という男を密告し間者21名を捕らえます。
その情報を別の倭人に教えてコネをつくったユン・フェがヨンシルと共に対馬へ!
倭の間者をすぐ処刑しちゃたい上王に、対馬との交渉に使いたいと世宗が主張。
征伐より食糧支援のほうが道義的かつ現実的との試算も集賢殿にまとめさせます。
反対していた左議政・集賢殿領殿事パク・ウンも最後には納得して上王に報告。
すると「兵糧米で計算したんだろ!どうやって3年もつと計算した?」と叱られ、
弟の粛清で恨みを持つ大妃(元敬王后)からも脅され、辞職願を提出しました。
パク・ウンは「私を集賢殿の長という生贄にしている!」と世宗に噛みつき、
食糧支援の試算についてやりあった世宗から「反対意見は大切だから辞めるな」。
父を追い詰めたパクを許せない昭憲(ソホン)王后はおわたりにきた世宗を拒み、
でしゃばりイソンは悩む王妃が描きあぐねた絵の束を世宗に見せに行きました。
対馬では、九州の源道鎮と正祐(僧侶・策士)が島主・宗貞盛と会見しています。
「幕府の実力者と通じている宗貞盛は単なる海賊ではなくてもっと大物だ!」。
ぶったまげたユン・フェからの報告を受け取った世宗も上王も驚き入っています。
援軍を得た対馬側は、食糧援助を掲げるユン・フェの申し出をはねつけました。
平和的解決を望んでいた世宗はひとしきり悩んだ末(+敬寧君の助言も受け)、
勝ちたいので征伐を命じてくださいとあっさり意見を翻して上王に申し出ました。
世宗1年(1419年)5月18日、朝鮮は豆毛浦(トゥモポ)で出陣式を開催。
初の征伐戦である対馬征伐を宣言し、226隻の兵船と1万7千の大軍が動きました。
以後170年間、朝鮮の海は平和だったそうです。(と予告画面に字幕が出ました)
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