<「チャン・ヒビン(張禧嬪)」あらすじ 22話>

チャンヒビン第22話「寂しい側室」

「ガチョウにそっくりだ」と側室キム淑儀(スギ)を評する大王大妃。
私はガチョウより古手川祐子に似ていると思いましたけどね~
新しい側室を迎えたと聞いてオクチョンは書物を全部燃やします。
周囲が心配する中、怒りを知るべきだ・・・と東平君は満足そう。

側室との初夜。王妃がすすめても粛宗は寝室に現れず、
キム淑儀は夜通し放っておかれてしまいます。
領議政キム・スハン(淑儀の大叔父)は、オクチョンの入宮が必要と悟ります。

粛宗は、清との国境である茂山の問題に頭を悩ませており、
ナム・グマン(西人少論派)に論議を命じます。
茂山は、清との衝突を憂慮する臣下たちにより長年放置されていた場所でした。
清との摩擦を避けたい西人派と、北伐に積極的な南人派でしたが、
粛宗の考えは南人派に近かったため、
キム淑儀(スギ)の扱いを気にする西人派のキム・スハンは折れます。

粛宗から無視されているキム淑儀はご機嫌ななめで、荒れています。
これはまずいと思った王妃は、正式な辞令の前のオクチョン入宮を決めました。

キム・ソクチュ(大妃いとこ)はオクチョン入宮に強く反対し、
領議政に抗議する最中に激昂して倒れてしまいました。
キム・ソクチュとつるんでいたキム・イクフンは、これは大変だ!と
ソン・シヨル(西人派代表格)宅へ馬で駆けつけて叱られます。
もはやオクチョン入宮を防ぐてだてはないというソン・シヨルの読みどおり、
粛宗は叔父キム・ソクチュの意を退け、叔父は失意のまま亡くなります。
キム・ソクチュは西人派と南人派の間を行き来し、南人派の追放に活躍した人物。
妹である大妃の死後、10軒の家を買い順番に泊まるという奇行に走ったそうです。

いよいよオクチョンは東平君の家を離れ、宮殿へ戻ります。
「6年間待ち続けた」と言ってますが、そんなに経ってたんですか!??

コメント

  1. にきち より:
    そうそう!

    >私はガチョウより古手川祐子に似ていると思いましたけどね~

    誰かに似てるとモヤモヤしてたんですが、スッキリしました~。
    若い頃の古手川祐子に似てますね、ヒステリーのおこしかたとか。

    淑儀とオクチョンの傍若無人ぶりは似たもの同士って感じに見えるんですが、淑儀がガキんちょすぎて好きになれない・・・。

    >「6年間待ち続けた」と言ってますが、そんなに経ってたんですか!??

    懐妊したのは宮殿で?それとも東平君ちでお忍びの夜伽で?
    どっちなんでしょうね?
    せいぜい1年ぐらいかと思ってましたが、時代劇の時間の経過にはびっくりさせられてばかりですね~。

    粛宗とオクチョンの最初の出会いは粛宗が24歳ごろですよね。
    オクチョンはまだ10代くらいと考えてもいいのでしょうか?
    熟した10代だな~。

  2. うめ子 より:
    Re: そうそう!

    にきちさん、いらっしゃいませ♪

    > 誰かに似てるとモヤモヤしてたんですが、スッキリしました~。
    > 若い頃の古手川祐子に似てますね、ヒステリーのおこしかたとか。

    わーい、同意していただけてうれしい!
    って、古手川祐子の名が出てくるあたり、
    私たち(にきちさんを一緒にしてしまいました)の世代をひしひしと感じますね。
    20代ではこんな「古手川祐子」なんて出てきなさそう。

    > 淑儀がガキんちょすぎて好きになれない・・・。

    キャンキャン吠える子犬ですからね~

    > 懐妊したのは宮殿で?それとも東平君ちでお忍びの夜伽で?
    > どっちなんでしょうね?

    私は、東平君ちでできた子どもだと思ってました。
    王妃と泊まっているふりをして
    東平君ちに通い続けるようになってから妊娠していたし、
    あと大妃か臣下から「宮殿の外でできた子だ」みたいな
    会話があったようななかったような・・・

    > 粛宗とオクチョンの最初の出会いは粛宗が24歳ごろですよね。
    > オクチョンはまだ10代くらいと考えてもいいのでしょうか?
    > 熟した10代だな~。

    調べてみると粛宗って14歳で即位してるんですよ。
    6年越しに再会したのが粛宗12年ってことは、
    粛宗がオクチョンに恋したのも20歳くらいですよね。
    オクチョンはもちろん10代のように思います。
    若いときに燃え上がりまくっちゃったから後から冷めるのかなあ。