前話で8歳から16歳の娘(イ氏を除く)を対象にした禁婚令が出されたのに続き、
端宗元年(1453年)11月15日には端宗の妃選びの第一次選考が行われました。
嘉礼庁の設置に端宗が反対したため、主導したのは首陽(スヤン)大君でした。
(殿下が結婚したら官職を退いて在野に下るつもりです・・・と野心を否定)
今回の揀擇(カンテク)には、孝寧(ヒョリョン)大君(太宗二男)が初登場です。
出家して僧侶になった孝寧大君ですが、還俗して家に戻っていた時期だったそう。
譲寧(ヤンニョン)大君とちがって温和で口数が少ない(爆)と説明が流れます。
祖先の名前を記した小さな名札を首に下げた娘たちが、いよいよ宮殿に入ります。
このとき釜の蓋の取っ手を踏むのは、新婦が婚家の敷居をまたぐのと同じ風習とか。
揀擇に参加すると女官になったとみなされるので、落選したら結婚は一生NG。
そのため多くの名家は娘を急いで婚約させ、身上書の提出を拒んだそうです。
さらに「今度の王妃は若くして寡婦になる」という噂もあり、イイ娘はいません。
粛清の子分たちを冷遇する首陽大君は、家に来たハン・ミョンフェを無視。
逆臣の財産を着服し無実の民の財産を奪ったホン・ユンソンには激怒しました。
ハン・ミョンフェがヤツらを操っている!と思っているのでカンカンなのです。
庭で泣く嫁ハン氏を見た首陽大君が、息子の桃源君(トウォングン)を呼びます。
夫婦仲について尋ねると「妻は欲が強すぎます」と桃源君。不仲っぽいですね~。
さてハン氏は、姉が嫁いだ桂陽(ケヤン)君の家でハン・ミョンフェと会います。
変わらぬ共同戦線を確認すると、ヒャンイを呼んでお酒の相手をさせました。
“遊ぶ金もないので女の色香に弱い”ハン・ミョンフェが、ぽかーんと見惚れます。
大殿のパク尚宮と首陽大君夫人ユン氏がタッグを組んで、端宗のお妃探しに奔走中。
キム・サウの娘にもクォン・ワンの娘にも満足できなかったユン氏は、
「とりわけすぐれているが家柄がよくないのです」とパク尚宮が言葉をにごした
豊儲倉(プンジョチャン)副使(プサ)ソン・ヒョンスの娘にも会いに行きます。
位が低く行動も垢抜けないソンですが、娘は美しく気品があり、ユン氏ご満悦~。
その頃・・・「王妃選びまで首陽大君の思うままにされてはたまらない!」と
恵嬪ヤン氏(世宗側室)&息子・永豊君&錦城(クムソン)大君が結託を始めます。
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