成宗が崩御して3日めの朝になっても王座が空いたままという異常事態の中、
水陸斎に積極的に賛成しないほうがよいと義兄シン・スグンが世子ユンに助言。
世子は何も答えず、「祖母上に逆らうな」という父王の言葉を思い出し、
自分のかわりに晋城(チンソン)大君に殯宮を守らせて宣政殿へ向かいます。
「国法に反するとは知っているが、子を亡くした仁粹大妃の悲しみをやわらげ、
父を弔うために水陸斎を行う」という世子の宣言にもちろん大臣が強硬に反対。
王室が私的に行っては?という左賛成ハン・チヒョンの助け舟も世子は無視し、
いくら仏教嫌いでも大妃の望みなら先王も逆らわないはず!と主張すると、
君主の威厳たっぷりに礼曹判書ソン・ヒョンに命じて儀式文を書かせました。
次に、仁粹大妃の前で晋城大君のことを褒め称え、水陸斎を命じたと報告。
世子の手際よさが仁粹大妃は明らかにおもしろくなさそうです。
官僚が水陸斎に反対して座り込んでも、上疏文を燃やす世子でした。
5日めなのにまだ即位させないのか?とさすがに大臣たちが騒ぎだします。
そろそろ即位させないとマズイですよ?とハン・チヒョンに迫るシン・スグン。
斉安大君(安順王后息子)を王にするほうがまし!と嫌がる仁粹大妃ですが、
世子をチェンジする理由もなく、成宗もそう願っていたため、従うしかありません。
にっくき廃妃ユン氏を思い出してムカつきながら、世子に即位を命じました。
私には資格がないので晋城大君のほうが・・・としおらしく断る世子に、
じゃあなおさら努力しなさい!聖君におなりなさい!と涙を浮かべて怒鳴ります。
こうして世子ユンが仁政殿(インジョンジョン)で即位したのは、
成宗が逝去してから5日後の12月29日のことでした。燕山君の誕生ですね!
即位するとさっそく生母ユン氏にまつわる記録を持ってこさせる新王。
ちょうどその頃・・・イム・サホンに保護されてるシン氏(ユン氏母)は
この日のためにとっておいた娘の「血涙」を取り出していました。
スポンサード リンク
時代劇にでる人はどのドラマでも見かけますよね。キム・アルロとか、チョン・テウとか