またみんなを締め出して成宗を独り占めして看病する仁粹(インス)大妃。
成宗は母への感謝を述べ、太子(後の燕山君)を頼みます・・・と手を握ります。
寝室でこそこそ話しているつもりでも、大妃の大声は外に丸聞こえですよ。
チョン貴人とオム昭容は廃妃の母親シン氏の行方を調べさせていました。
廃妃追放の真実が太子に知られては困るので、始末するつもりなのです。
シン氏に付き従っているトクチュンは、イム・サホンの使用人。
豊川尉と豊原尉の父であるイム・サホンは廃妃騒動で反対意見を唱え、
廃妃の死後もずっとシン氏の生活を援助しつづけていたそうです。
月山大君夫人は寺の粗末な小屋で6年間も喪に服し皆の尊敬を集めています。
同じ寺で暮らすチャン・ノクス(張緑水)は、ケッ!と馬鹿にしきっていますよ。
ちなみにノクスに辞められたチョヒャンの妓生房は閑古鳥。
ノクスを訴え出た元舅パク・チャンスは捕らえられて投獄されました。
成宗の病が重く、斉安(チャン)大君をはじめとする王族に集合がかかりました。
太子(が王になると)の寵愛を受けた女は宮殿で暮らさなければならないから
お前をそばにおけるのもわずかだな・・・とソンファに話す斉安大君。
私は一生だんな様のそばで暮らしたいのですとソンファが涙ぐみます。
いよいよ最期が近くなった成宗は太子と二人きりになると、王妃の人格を褒め、
(廃妃ユン氏ではなく)最初の王妃(恭恵王后)がお前の母だと打ち明けました。
「幼い晋城(チンソン)大君には何があっても手を出すな、大妃とは争うな・・・」
そう言い残して成宗が崩御。38歳という、当時としては平均的な寿命でした。
王妃3人&側室も子もいっぱいの“私生活はともかく(爆)”朝鮮前期の名で、
治世中の重大事件といえば廃妃の賜死事件くらいだったという説明が流れました。
さっそく大妃が太子に、水陸祭(スリュクチェ=仏教行事)をしたいとゴリ押し。
朝廷にいえば反対されるこの行事を一存でOKした太子を斉安大君がほめます。
「それでいいのです、王になるまでは大妃の味方になって恩を売るのです・・・」。
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