順興(スヌン)府使イ・ボフムが錦城(クムソン)大君の謀反を密告しました。
すると赤い帯(同志の証)を世祖が取り出し、お前も仲間だったよな?と激怒。
世祖は“反逆の村”である順興府を廃して豊基郡(プンギグン)の配下におかせ、
順興の将軍を処罰、要職者や大勢の民までも罪を問われる制裁が下されます。
ついでに錦城大君が順興府から安東府へと移送されました。
危篤が続いていた世子がいよいよ危ないとしらされ、昌徳宮にとんでいく世祖。
誰のために殺生を繰り返したと思う?お前が死ねば当然の報いだと言われる!
生きて父の後を継ぐのだ!と命の灯が消えそうな息子に懇願するように語ります。
世子が最後の力を振り絞って放った言葉は、「上王様をお助けください・・・」でした。
世子いわく、夢の中で文宗に呼ばれ、上王を助けてくれと言われたそうです。
わかった!言うとおりにするから死ぬな!と世祖が即答すると、
安心しました・・・と永遠に目を閉じてしまいました。19歳の若さでした。
(びっくりしたのですが世子には側室3人いたんですね~。いずれも子供はなし。
世子妃ハン氏が長男と二男との間に公主も産んでいたのにも驚きました)
「無情なる風雨が牡丹を散らし 石段で舞う芍薬は朱欄に積もりゆく
玄宗は蜀で楊貴妃を亡くし 側室はいれども悲しみは癒せず」
これはまだ病が軽いときに懿敬世子(本名ジャン)が詠んだ詩だそうですが、
この詩を読んだ人は詩から漂う忌まわしさに不安を覚えたそうです。
文昭殿(ムンソジョン)で兄(文宗)に仕返しを誓う世祖。とどろく雷・・・!
雷を怖がって寄って来る長男(月山君)を世子妃ハン氏が突き飛ばし(こわいです)、
きっと息子を王にしてみせる!その日まで耐えますとも!と固く決意すると、
魯山君がいる限りこっちに王位は来ないのよ!と従兄ハン・チヒョンをつつきます。
宮殿の警備を強化せよ!怪しいものは誰でも斬れ!と世祖が命じつつ、
世継ぎがいない不安をホロリとこぼしてホン・ユンソンをノリノリにさせます。
魯山君夫人ソン氏(定順王后)が暮らす浄業院(チョンオボン)が兵に囲まれ、
寧越(ヨンウォル)の魯山君の小屋の前にも都から義禁府が押し寄せてきました。
魯山君の粗末な小屋の前には民が集い、献上物があふれていましたが、
その中の一人である寧越の戸長(ホジャン)オム・フンドが厳しく鞭打たれます。
上王に慈悲をほどこせという進言を世祖にはねつけられた孝寧(ヒョリョン)大君。
錦城大君やソン・ヒョンスの弾劾に向かう大臣たちを罵って帰って行きました。
大臣たちの弾劾を聞いた世祖は、そなたたちはわかっていない!と一喝。
王位を継ぐ海陽君はまだ7歳なのだ!誰が首謀者なんだ?と怒鳴って問います。
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