世祖は功臣を退け新進官僚を起用して世子を補佐させようとしていましたが
結局その努力は無駄となり功臣の頭であるハン・ミョンフェが領議政になりました。
ハン家では盛大な宴が開かれ、功臣たちもやっと溜飲を下げて喜んでいます。
これ以上王族と姻戚になると夫が強欲だと非難されます・・・とミョンフェ夫人ミン氏。
私に恩を感じているんでしょ?と粋嬪ハン氏は者山君との縁談を無理やり決め、
そなたを高貴な身分にしてみせるわ・・・とミョンフェの13歳の娘に話しかけました。
そして粋嬪ハン氏は今は亡き懿敬(ウィギョン)世子との会話を思い出します。
ハン氏ったら、今にも死にそうに咳をして苦しんでいる病床の夫に、
「息子を世孫にしてくれと世祖に頼め」としつこく迫って嫌がられていたようです。
ハン家の宴にシン・スクチュは出席しておらず、右参賛キム・ジルも同様でした。
大殿に呼んだ右参賛キム・ジル、亀城君(キソングン)、都承旨シン・ミョンを前に、
科田の返納を命じたのに功臣は一年たっても返さない!と世祖が怒ってみせます。
(ミョンフェ・ユンソン・ダルソンの土地だけで都の民が食べさせられるとか)
まず私が功臣田と科田をお返ししますっ!とビビったキム・ジルがソッコーで返答。
キムのやつ後悔してるだろな~と後で世祖が笑っています。見事な狸じじいですね。
ちなみに科田返還の件を持ち出したのは亀城君やユ・ジャグァンの入れ知恵だそう。
しかし世祖による功臣たちへのこのような反撃は粋嬪ハン氏の予想どおりでした。
懿敬世子の後に世子になった弟(海陽大君)はミョンフェの娘を世子妃に迎えるも、
世子妃とその息子は早逝し、側室(ハン・ベンニュンの娘)との間に息子がいました。
この側室・ハン昭訓(ソフン)と息子が、後の安順王后と斉安大君ですね。
昭訓を世子妃にしては?と王妃(貞熹王后)が急かせても、なぜか世祖が渋ります。
夫妻はまたミョンフェのことで揉め、それをすばやくイム尚宮が粋嬪ハン氏に報告。
なぜ私に協力してくれるの?という粋嬪の質問にイム尚宮がこう話しました。
粋嬪が宮殿を出て行く姿を見て、そのころ水刺間(スラッカン)の内人だった私は
涙が止まりませんでした。尚宮から下働きの者までみな泣きました・・・と。
私は冷たい人間で下の者にはやさしくなかったわと冷静な自己評価をする粋嬪に、
皆はお戻りになる日を待ちわびています・・・とイム尚宮が答えます。
「王位は世子様が継ぐのが正しい、余計なことを考えるな、粋嬪とは距離を置け」。
長年の友ハン・ミョンフェの野望を見抜いているシン・スクチュが釘をさしました。
科田の件を話そうとミョンフェが大殿に行くと、亀城君やシン・ミョンが来ており、
山のように集まった返納書類を世祖がうれしそうに(&ざーとらしく)確認中。
さらに亀城君(発疹掻き係)をすぐ外に待機させてミョンフェに話す機会を与えず、
「若い世子に政治をさせるには財力がいる」と演説だけしてまた痒がり始めました。
中宮殿では、「没落した王族」と自分を評した粋嬪ハン氏を王妃が叱っていました。
私はわが身を子に与えるクモの気持ちで生きてきました・・・と粋嬪が話し始めます。
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「王と妃」ももうすぐ100話ですね。
もともと感情が乏しいほうではなかった印象ですが、このへんの世祖のオヨヨ後悔と切れ気味な時の差は、身近な人は疲れるだろうな~と思いました。
ケーブルで見た時は端宗殺害のショックでよく覚えていませんでしたが、ハン氏の冷静な自己評価はギャフン!となりよく覚えています。臨終の世子への仕打ちといい、わかってやっているなら尚更コワい(笑)しかし下からは意外に人気なんでしょうか。カリスマ性があるのかな…